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クリスマスはちゃんと12月24日と25日に来るのに、ぎっくり腰というやつは毎回毎回性懲りも無くアポも取らずにやって来る。

ニュースをぼんやりと見ていると、雪かきや大掃除などでぎっくり腰になる人が増えているという話題が増えてきたように思う。なので、今日はここぞとばかりに私が経験したぎっくり腰経験談をすることにしよう。
ぎっくり腰経験者の同胞達は腰を労わりながらリラックスをして、幸運にもまだぎっくり腰を経験していない人々は立ち上がりや寝返りの際に突然“奴”が来ないのを祈りながら読んでいただきたい。

先に言っておくが、私は全人類の腰の平穏と安寧を願っている。信じてほしい。𝑀𝑒𝑟𝑟𝑦 𝐶ℎ𝑟𝑖𝑠𝑡𝑚𝑎𝑠。

それはもしかしたらもう秋は終わったのかもしれないねという、秋とも冬とも呼べない中途半端な暖かさと生温い風が印象的な11月のとある日のことだった。
介護の仕事をしている私は、その日朝から入浴介助のため職場内の浴場に居た。そこそこ広いお風呂場にて、椅子に並んで座った利用者さんの髪や背中を丁寧に洗う。その際に全身の皮膚状態を確認したり、知らぬ間に皮膚変色などが増えていないかどうかを確認する作業も入ってくる。
一言で入浴と言ってもただ誘導されてくる方々を芋洗いのように洗えばいいというわけではない。私は私なりにこの仕事に誇りを持って取り組んでいるのだ。事件は、その誇り高い業務中に起こった。

「何処か痒いところはありませんかねぇ」
「なんつった?どっかいい男いませんか?私が聞きたいねぇ」

全く繋がらない会話をリズミカルに繰り返しながら、不屈の心で爆音でコミュニケーションを取りつつ、少し屈んで利用者さんの背中を洗って身体を起こしたその時、アポもインターホンも無しに“奴”はやって来た。
因みに私がぎっくり腰になったのは人生で2回目なのだが、今回の来訪は前回に比べて割と静かだった。前回はぎっくり腰の異名とされる魔女の一撃にふさわしいなかなかのインパクトがあったが、今回はさながらバカンスでお忍びの訪問といった感じだ。調子に乗るな、一生忍んでおけと言いたい。

「か゜ッ………!!」

喉から勝手に発音の難しい声が出た。ドッグフードが不意に思わぬところに入った犬によく似ていた。

静かな訪問とはいえすっかり安心しきっていた腰には充分すぎる衝撃だったようで、まるで毒のように腰を中心に痛みが身体中を駆け巡っていく。
駆けるな、留まれ。ここに居ておくれよ。おれぁまだやらなきゃいけないことがあるんだ、なんたって入浴介助は始まったばかりなんだ。あと8人、午前のうちにお風呂に入れねばならぬ大義があるんだ…!
いくらそう自分に言い聞かせたところで痛みは待ってくれなかった。
腹痛のことを天使が滑り台を滑っていると表現したのを見たことがあるが、私の腰痛は最早腰という腰を縦横無尽に飛び回る調査兵団そのものである。帰れ、それぞれの故郷へ。

言っておきますけどね、駆逐したいんだか何なんだか知りませんけど、此処を陥落させて困るのは結局あんた達なんだからね…。

等と、痛みに対する気をなるべくあちこちに散らすべく、ろくにちゃんと観たこともない進撃の巨人のキャラクターの皆さんに文句のひとつやふたつ並べたところでどうにもならないところまで達するにはそう時間は掛からなかった。

最早ここまで、そんな思いで私は洗身途中の利用者さんに耳打ちをした。

「すみませんがね、私、腰をやってしまったみたいで。声もね、腰に響くもんですから…。ちょっと脱衣場に居るお姉さんを呼んでもらえますかね」
「何!?どうしたって!?あっ、痒いところか!?痒いところはないです!!」

この時、何故か周回遅れで最初の問い掛けに対するアンサーが爆音で返って来たことが不覚にもツボに入ってしまい、「助けて…助けて…」と言いながら浴室チェアの背もたれに掴まりながら崩れ落ちないように自分を支えた私を私は褒めたい。
恐らくあの時に崩れ落ちていたら最後、もう自力では立てなかったと思う。
結果、私の悲痛な助けを呼ぶ声に気付いたペアの職員が異変に気付いてくれて何とか私は一命を取り留めた。ミイラ取りがミイラにとはよく聞くが、介護員が要介護者になるのは何としても避けたかったのだ。
幸いにも当日出勤者がナース含む全員が腰に爆弾を抱えた女達だったため、多く語らずとも「腰をやった」の一言で全て片付けることが出来たが、今振り返ってみると全員が腰に爆弾抱えてるのはちっとも幸い要素が無いのは明白である。当時はそんな当たり前に気付かないほど、切羽詰まっていた。

痛みはあるがまだ歩行は可能だったので、入浴着から制服になんとか着替え私は職場を早退した。帰り際に上司達が仕事をしている事務所を通るため事情を説明したものの

「ふ〜ん、その割にスタスタ歩いて平気そうだけどね」(原文ママ)

これを言われた際、出産時に旦那さんから言われた心無い一言を一生根に持つと恨み言を言っていた友達の顔が脳裏を過ったのを覚えている。人間、痛い時やしんどい時に言われた言葉というのは忘れないように出来ているのかもしれない。
この発言については、今後私の身に何か起きた時にありとあらゆる形で同時多発的に各所でまとめて公表しようと決めていることをひたすらしたためたノートに日付と時刻入りで記録が残されている。
復讐はなにも生まないかもしれないが、私がスッキリするので絶対にすると決めているのだ。こういうことをするからぎっくり腰になるのかもしれない事実には薄々気付いてはいる。

さて、そんなことはさておき問題は帰り方である。車通勤なので当然帰りも車で帰ることになるが、腰はどんどん痛くなる一方だ。病院まで直接行けたところで、その後また運転して帰って来られる自信は全く無かった。
考えている時間も惜しかった私は、遠慮のえの字も無く車内から母親に電話を掛けた。母は直ぐに電話に出てくれた。

「もしもし、どうした?喧嘩して仕事辞めたか?」

電話口の母は実に呑気な口調で冗談めかして言ったが、私には時間が無かった。運転席に腰掛ける私の腰には今この時にも腰痛の波がざっぱんざっぱん止まらないのだから。この波でサーフィンなんてしてみろ、二度と陸を踏めなくしてやるぞぉと言わんばかりの大荒れである。

「腰をやってしまった、今から実家に行く、本当に申し訳ないんだけど病院に連れて行ってもらえないですか」

切羽詰まり過ぎてロボが音声読み上げしたかの如く一切の感情を失ったかのような物言いをするぶっきらぼうな娘の物言いにも、母は一貫して母のままであった。

「あれぇ〜、大変だ。お父さんも昨日ぎっくり腰やったんだわ、すごい偶然ですね」

すごくどうでもいい。どうでもよくはないが、今はどうでもいい。父の腰の近況を聞いて「へ〜!流石親子って感じだね、いえ〜い!!」と言えるノリも優しさも余裕も今の私は持ち合わせていなかった。どうにか絞り出すように病院には連れて行ってもらえるのか否かを聞き、結果連れて行ってもらえるとのことで、私は漸く職場の駐車場をのろのろと低速運転で後にした。

無事に出発したのはいいとして、次に考えなくてはいけないのは実家までの帰り道のルートだ。
時間が掛かっても低速で腰に刺激を与えず帰ると思えば農道をひたすら走るしかないし、腰へのダメージはもう仕方ないと割り切って高速道路を駆け抜け大幅に時間短縮するという手もある。
二分の一の選択だ、間違うわけにいかない。
慎重に行きたくともどんどん深刻になっていく痛みがひと握り残った冷静さを奪っていく。

「やるしかねぇ…」

結局、私は一か八かの高速かっ飛ばしルートを選んだ。
理由としては低速で農道をのろのろ移動中に痛みがMAXに達し、ただでさえ人通りの少ない農道で周りに田んぼと畑しかない一面のクソ緑の中死んでいくのはどうしても避けたかったのだ。
覚悟した途端、やってやろうじゃねえか、おいやってやるっつってんだと私の心は燃えていた。
腰も痛みで燃えている今、心も燃やすことなど今の私には造作もないことであった。世が世ならこのわたくしこそが炎柱である。いいから整形外科に早く連れてってもらえ、杏寿郎。心の片隅の猗窩座が、呆れた石田彰の声をしてそう語りかけて来た気がした。

冗談みたいなタイミングでスピーカーから流れてきた紅蓮華を聴きながら、いざ出陣とばかりに高速道路に乗り出す。
力強い歌声に勇気づけられはしたが、車内スピーカーから発生する低音の揺れにさえ腰が悲鳴をあげ出したので私は静かにボリュームを絞った。
本来もしかしたら音楽なんて止めて無音の中運転に集中するべきだったのかもしれないが、絶え間なく襲い来る痛みの中で車内を無音にしてしまってはその隙をついて他の何処かも痛くなり始めそうで、弱い私は痛みも止められなければ音楽さえも止めることが出来ない女に成り下がってしまった。

似たような話で冬のある日、退勤して帰る途中にとんでもないホワイトアウト(雪による視界不良、一面真っ白になり車道も歩道も一緒くたとなりドライバーも歩行者も終わる)に見舞われたことがあり、その時さえ心細さにブルーハーツを爆音で流し適当な歌詞で絶唱しながらほぼ勘で走り抜け家に帰宅したというエピソードがあるのだが、どう考えてもその話をする尺が足りないため、この話はいつかその時が来たらしようと思う。

話は本筋に戻り満身創痍の車内へ帰ろう。

痛みの限界は刻一刻と迫っていた。なんとなく転ぶ瞬間に似ているなぁ、とぼんやり思った。転ぶのは一瞬なのに、今まさに転んでいる時は何故か全てがスローモーションに見える。いつもと同じ速度を出しているのに、何故かその日は景色がよく見えた。何なら遠くに見えている山の木の一本一本までもがよく見える気さえする。
少年漫画であればこの感じは間違いなく劇的に強くなる前兆の現象なのだが、残念ながら舞台はわたくしという平々凡々な人間のちっぽけでみみっちい人生に過ぎない。
今ここに居るのは強敵を前にした主人公でも、試合中にも常に進化を遂げていくスポーツ選手でもない。腰痛に身体も心も支配された哀れな女一匹なのだ。
それどころでは無い時ほど心が無駄口ばかり叩くのを自覚した時、私はかつて水曜どうでしょうにおいてミスターこと鈴井貴之さんが「目的地にいつまでも着かないと、こうして馬鹿な話ばっかりするしかなくなります」と視聴者に向けて語りかけていたシーンを思い出していた。

そうしてありとあらゆる手法で何とか痛みに支配される己の気を紛らわせつつ、少しずつ運転席のシートを倒したり戻したりして身体の角度を少しずつ変えるなどの涙ぐましく、そして何ともせこい方法で己の心と腰に騙し討ちしながら、私はなんとか実家に到着した。

父と母は実家の二階に居た。

母は私を見ると「あんた大丈夫?」とだけ言い、父に「この人ぎっくり腰なんだって」と言った。父は多く語る男ではないので「あぁ、それは奇遇ですね」と言った。度々他所行きの態度になるのは何なんだ。

行くとしたらすぐに超したことはないということで、実家に着いて早々に今度は父の車に乗り込んで病院へ向かうことになった。
父もまた前日にぎっくり腰になってはいるが、父に関してはぎっくり腰を飼い慣らしているので最早すっかり通常営業であった。
なんの気無しにコツを聞いたところ、「別に痛がったところで痛くなくなるわけじゃねえしな」とのことだった。そう語る父の目はまるで歴戦の戦士のようであったが、エンジンを掛けると同時に景気づけとばかりに驚愕の大きさの屁をしたので全てを台無しにした。
私は当然抗議をしたが、「俺の車で俺がいつ屁をしたって何が悪いってか」ととんでもない言い訳をさも当然とばかりの顔で繰り出して来る。
皆さんはご存知かもしれないしご存知ないかもしれないが、人間極限に近い痛みの中に居ると感情が研ぎ澄まされ、感度が倍になる。それは笑いにも適応されるようで、私は助手席で理不尽に襲い来る笑いが腰に直結しもがき苦しんでいた。正直、今でも父を恨んでいる。

因みにこれは余談だが、私の父という男は運転が大層荒い。運転技術の高い荒さ故、腰の爆弾が誤爆し今まさに身体中に延焼している私にとって父の運転は諸刃の刃だと覚悟はしていた。
しかし、運転してもらう立場となった今文句は言えまい。そう思ったのも束の間、走り出して数分で何の躊躇いもなく砂利道ルートを突き進もうとする父に、考えるより先に手ではなく口が動いていた。本能が文句を言ったといっても過言ではない。
きっと、車道に飛び出す鹿と私の口から飛び出して言った文句は同じ原理なのだろう。

「腰が痛いのよ、なんならお互い腰が痛いはずなのよ。砂利道ってあんた、冗談じゃないよ。しまいには泣くよ!」

必死に訴える実の娘に父はどうしたかと言うと、車のスピーカーから流れる吉田拓郎を口ずさみながら陽気に片手運転していた。
私はあの日以来、吉田拓郎のことも数ミリ単位で恨んでいる。いちいち全部いい歌なのも何とも絶妙に神経を逆撫でして来るじゃないか。因みに、私が吉田拓郎の曲で一番好きなのは「今日までそして明日から」である。機会があれば聴いてみてほしい。

そんな荒いがスピードは早い運転に振り回され、私はなんとか病院に到着した。病院内で付き添いしてくれるのかと思いきや「俺はホーマックとか見にいくから」とだけ言い残し、父は颯爽と駐車場から去っていった。
この出来事はDCMの乱として私の人生史に刻み込まれている。
置き去りにされたとて、着いたからには病院に行くしかない。幸い腰はものすごく痛いが何故か歩けはしてしまう不思議ボディは健在であったため、私は意を決して病院の中へと進んだ。

予想はしていたが、院内はその予想を遥かに上回る絶望と地獄の激混み具合であった。

整形外科というものは何故いつの世もこんなに混んでいるのだろう。
普段仕事で受診の付き添いをする際や、そこまで痛みが深刻化する前の受診であれば

「あぁ、世の中はこんなにも何処かしら痛くて困っている人が居るのだなぁ」

と思えるのに、このように切羽詰まった痛みがとめどなく押し寄せる現状ではそんな生温いことは言っていられない。
どいつもこいつもそこを退け、お前ら本当に受診が必要なほど本当に何処かしら痛みがあるんだろうなと、余計なお世話もいいところの理不尽を振りまきながら受付へ進む。
私のマスク越しの殺気は何のその、受付のお姉さんはとても物腰柔らかだった。私は痛みにすっかり支配されてしまったちっぽけな己の人格を恥じた。

「本日はどうされましたか?」
「多分なんですけど、ぎっくり腰をやってしまって。歩けるんですけど痛いんです。それはもう、痛いんです。歩けますけどもね、痛いんです。お願いします、信じてください」

早退間際に上司に言われた一言が遅効性の毒のように効き始めたのか、疑われもしていないのにペラペラと悲痛に話した。受付のお姉さんはマスクを付けていてもわかる困った顔をして、それでも優しく言ってくれた。

「痛いのつらいですよね…問診票を書いて、呼ばれるまで腰掛けてお待ちくださいね」

同感しながらも軽やかに受け流すその見事な技にプロを垣間見た気がした。私は問診票が挟まれたバインダーを小脇に挟み、なす術も無くカウンターを後にした。

さて、問題はここからである。場所は繰り返すが激混みの整形外科の院内だ。一応、ポツポツとところどころ椅子は空いている。しかし、その椅子の形状が問題なのだ。

見るだけで硬さが臀部と腰部に伝わるようなプラスチック製の椅子。

これに関しては文句を言わせてほしい。
整形外科とはありとあらゆる場所を痛めている人間が来ると相場は決まっているのだから、せめて椅子は柔らかくあって欲しかった。何をそんな、ほぉ〜ら座りたいんでしょう。座れるもんなら座ってみなさいよとばかりの硬さの椅子を所狭しと並べているのか。
これがどうぶつの森であれば、椅子の前でBボタンを押せば椅子の収納と手持ちの椅子の交換が可能だが、何度も言うように現在のフィールドは私の人生だ。
現在私に用意されている選択肢はたったの二つ。座るか、立ってろ。それだけである。

「最早ここまで…」

武士でも当時本当に言ったか言わないか分からない台詞を、まさか整形外科の待合室で言うことになるとは思っていなかった。
私は椅子に座る決断をした。
何故なら、この混みようでは何時間待ちになるかも分からない。患者の方はどんどん来院して来ている。こんなたまたま座れる形をしている臀部への刺客のような椅子でさえ、数時間立ったまま過ごすのと比べれば大変有り難い代物なのかもしれない。
そう言い聞かせながらなるべくゆっくり座ってみた椅子は、想像通りの硬さと直角っぷりだった。

ふざけるのも大概にしろ!

私の心のランボーが熱く咆哮しながら今にもこのちょっと座れる鈍器を粉砕しそうだが、実際にこの場所で粉々に壊れているのは私の腰だけである。嗚呼、やるせない。情けない。

悪態もついていられないと、私は問診票への記入を始めた。もう痛みが全身を支配しつつあって、その頃には名前や住所を書く欄にさえ腹が立つ始末であった。

もうね、この際私が何処の誰であれあんた方には関係ないでしょうに。こんな椅子を待合室に置く君達なんかにね、何が分かるって言うんだい。逆に聞きたいよ、待合室に置く椅子を決める時の心情を。まさかと思うけど全員べろべろに酔っ払ってたんじゃないだろうね。なんか知らねえけどさぁ、もうこれでいいんじゃねぇか〜?なんて、君達のそんな適当な選択が今現在こうして私の腰を苦しめる結果に繋がっているとしたらだね、流石に言わせてもらうよ。受付のお姉さんはとてもいい感じの子でしたけどもだ、文句のひとつやふたつやみっつ言わせてもらわなきゃ気が済まないとね、ぼかぁ言っているんだ。

心の後部座席で誰かがごね始めたのをもう押さえ込むことも出来ず、頭の中で垂れ流しにしながら無感情で問診票を埋めていく。
この後に及んで痛いところを丸で囲んでくださいと言うもんだから、これもまたどうにも頭に来て「だから腰だっつってんだろ!」とばかりに大々的に丸を書いたら上半身全てにダメージを負っている人間が紙の上に生まれてしまった。

しかし、本当に痛みとはありとあらゆる余裕や優しい心を根こそぎ奪っていくものだとつくづく思った。
というのも、私がランボー怒りの問診票記入をしている時に真横でおばあさん二人が雑談をしていたのだが、その内容というのが

「今日はちょっと、友達に誘われて何となく来てみたのさ」
「私は湿布まだ家さあるけどあって困るものじゃないから貰いに」

といった感じだったのだ。

普段であればまぁそういう人も居るのかなぁ〜で済む出来事も、今の私には頭から爪先まで許せない。
遊びじゃあねえんだぞ、ふざけているのかと。何をちょっとパン祭りのシールの感覚で湿布を貰いに来てんだと。まぁね、あれば困らないし集まれば皿も貰えるからってかい。冗談じゃあねえっつーんだよ。湿布集まったってもらえる皿なんてねえんだって、此処には。おめえの膝の皿は左右で1枚ずつっきりなの。増えやしねえの。ミッフィーの絵を膝の皿に殴り描いて世界に左右1枚ずつしかない特別な皿にされたくなけりゃ引っ込んでろ、このすっとこどっこい共め!
私の中の憤怒ヤクザが意味の分からない方向に怒るだけ怒って、最後はミッフィー達に宥められながら何処かに消えていった。
何故か?最早その場しのぎの怒りでは抑え込めない程の痛みが私の腰に城を築いたからである。燃えるような痛みだ。もしかしてこの城は本能寺なのだろうか。だとしたら本日をもって明智光秀アンチになりそうだ。

そんなこんなをしているうちに、よっぽど切羽詰まっているのが外にも伝わり始めたのだろうか。看護師さんが来てくれた。
仕事中腰がこうなったことの経緯について詳しく聞かれたが、痛みで自我も失いかけていたので

「もう腰に直接聞いてください…」

などと無茶も数回言った気がする。

なんやかんやと聞き取りも終わり、最初は骨がどうにかなってないか調べるためにレントゲン室に向かうことになった。レントゲン室では受付のお姉さん、看護師さんと同じように感じの良い方が優しく微笑みながらそこで私を待っていてくださった。

「おはようございます、痛いと思うんですけどお写真必要なので、頑張りましょうね」
「よろしくお願いします。この通り直立になれないんですけど、大丈夫でしょうか…」
「はい、大丈夫ですよ!ちょっと伸びてもらいますけど!」

あんたって人も人の良さそうな顔をして元気いっぱいに人の話を聞かねえ奴だな、と内心思った。

「この機械に沿ってくっつくイメージです」
「くっつきたいのは山々なんですが、腰がこれ以上伸びないものですから…」
「アハハ!本当に痛いんですね!」

あまりにも無邪気に笑うものだから、もしかしてこれからレントゲンを凶器にこの技師さんに扮したサイコパスに私は始末されるのか?と思わず一瞬疑ったりもしたわけだが、腰に大打撃を与えられつつも命は取られずに済んで私はよぼよぼとレントゲン室を後にした。入室前と退室後で体感30歳は老けた気がした。
何なら嚥下機能まで退化したのだろうか、退室と同時に自分の唾で溺れるように噎せ、その咳によるダメージも全て既にズタボロの私の腰が負う始末であった。散々とはこのことである。
しかし、技師さんの名誉のために言っておくと技師さん自体は本当に優しくて物腰柔らかな方だった。
もしまた違う機会があれば出会いたいと思っているが、技師さんに会うということは即ち私の骨や身体にまた何か起きた時であるため、私達はきっともう会わないのがお互いのためなのかもしれない。

幸いなことに骨自体はどうもなっておらず、その後の先生の診察では

「あなたはぎっくり腰でなく、腰の肉離れです」

と説明されたわけだが、ぎっくり腰と肉離れの違いがよく分からなかったものの到底聞ける雰囲気も余裕も無かったため

「あぁそうですか、そりゃあ良かった安心だ」

なんて適当この上ない合いの手を打ったりなどしてその場を凌いだものだ。

因みに、実際は全然凌げておらず

「全然良くないですよ、大体は繰り返しますからね。運動ちゃんとしてくださいよ、多いんですよね医療介護の人。こちらが何度もこう言っているのにね、あなた方はその後また何回も何回も来るんですよ」

と若干迷惑そうに言われた。言われてみれば先生の眼鏡の左右のレンズに迷と惑が書いてあった気がする。

我々がぎっくり腰(または腰の肉離れ)側に何回も何回も来て欲しくないように、先生も患者に対して同じ思いなのかもしれない。何度言っても繰り返す我々に、愛想が尽きてしまっているのかもしれない。
それにしたってあんた、事実にしても物の言い方ってあるだろうに。なにかい、あんたの中のオブラートってのは品切れなのかい。ちょっと病院併設の薬局にひとっ走り見に行ってみたらどうなんだい。なんだ、そんなでかい身体と態度をして…と思ったことはここだけの内緒話として記しておきたい。

看護師さんや技師さんがとても優しく物腰柔らかだった分、心の何処かで油断していたのだろうか。診察室を後にしてからは腰だけではなく心もズキズキと痛むようになっていた私は、恐らくあの病院で一番可哀想な患者だった。自分だけでもそう思っていなければとてもじゃなきゃやってられない。
もし、あの病院に小石が落ちていたのならマスクの中で下唇を突き出して小石を蹴りながら帰っていたところだ。
しかし、実際には小石のひとつも落ちていやしなかったのでイマジナリー小石を蹴って帰った。
会計を済ませ、薬局に向かう途中に私を置き去りにホーマックへ行った父にLINEする。送られてきたのはルパン三世の次元大介がこちらに銃を向けているスタンプひとつだった。どういう心境?

またしても運転の荒い父の車に乗り込み、実家に帰った。アパートに帰って階段の登り降りするのも大変だろうと心配した母が、今日は泊まって行きなさいと言って一階の居間に敷き布団を敷いて待っててくれていた。
普段あんなにずぼらで、がさつで、女性版高田純次のような面があっても、こんな風にふとした瞬間見せてくれる優しさや愛情をきっと親心と呼ぶのだろう。私は感動した。

だがしかし、ひとつ問題があった。

果たして私は現在のこの腰の状態で敷き布団に眠れたとして、起き上がることは可能なのだろうか。
寝たら最後、この敷布団の上で残りの人生を生きていくしか無くなるのでは。それほどまでの痛みが現在進行形で私の腰を支配していた。

「寝るのはいいんだけど、起き上がれなくなりそう。どう思う?」

心配で、私は堪らず母に言った。すると母は即答した。

「さぁねぇ、お母さん腰が頑丈な女だから分かんないわ。ガハハ!」

愛犬のマルチーズを肩に担いで豪快に笑う母に、つい数分前まで確かにこの胸に満ちていた親心への愛や感謝が一気に萎んでしまいそうになるのを何とか堪えながら、私は力無く笑った。
分かっちゃいたさ、分かっちゃいたよ。自分の腰の問題は自分でどうにかするしかないのだ。
一度大きく深呼吸をして、私は敷布団に寝てみることにした。寝ることにこんなに覚悟が必要になる日が来る未来なんて、全然想像していなかった。

「ここで見ててあげるからさ、寝てみ」

自称腰の頑丈な女が、スナック菓子より軽い吹けば飛ぶような口調で私に言う。
見ていると言った傍から自分はどっかりソファに腰掛けて、北海道のローカル番組 どさんこワイドの奥さんおえかきですよを観始める始末だ。
この薄情な女にはなんの期待もするまい、私はそう誓った。

「よぉーし…よぉ〜し……」

私はまるで猛獣を宥めるかの如く布団と対峙しながら、腰に激痛がはしらないように少しずつ身を低くしていく。さながら、海外ドラマで刑事が武器を持つ犯人と向き合う緊張のワンシーンのようだ。本来なら

「いいか?俺が先に銃を捨てるから、見ててくれ。見てるか?そう、銃を床に置くぞ。そうだ,見ていろ。今から置く。そうだ、そう。ほら、置いた。銃を置いたからな…」

とでも言う緊迫のシーンのはずだが、残念ながらこちらの腰という銃は暴発済みなので何も置くものがない。こちらはとっくに丸腰なのだ。何ならそれもまるっきりおしまいな腰、略して丸腰だ。
そうこう言っているうちに、私は布団に膝をつくことに成功した。

この後だ、この後の行動で全て決まるといっても過言ではない…。

たったの数分が数時間にも感じられたそんな瞬間に立ち会った母は、ソファに座っても肩に担がれたまま微動だにしない実家で暮らすマルチーズの背中をあやすように優しく叩きながら、私に言った。

「あんたちょっと、これ何描いてんだか分かる?なんだって絵心もないのに、このコーナーに出ようとすんだかさ」

それは、この期に及んで奥さんおえかきですよへの愚痴だった。聞いた瞬間、私の八つ当たりにも近い怒りは爆発した。

「えぇいうるさいっ!!この際言わせてもらいますけどねっ、あたしゃ奥さんおえかきですよなんてどうでもいいの!今日の賞金が何万だろうが、答えがなんだろうが、絵が上手かろうが下手だろうがどうでもいいっ!!ここに映ってる奴ら全員、腰がこうなりゃいいんだっ!!呑気な顔でへらへらしやがって!おえかきですよ!?こちとら腰がご臨終ですよ!!腰の頑丈な女が生んだってのに、あたしゃ敷布団にも満足に寝られやしないっ!そしてその腰の頑丈な女はマルチーズ担いで高みの見物と来たもんだ!!もう私のことなんか放っておいてちょうだいっ!!」

そんなことを一気に捲し立てた私に、これを読んでいる皆さんはそんな言い方は母が傷つくんじゃないかとか、奥さんおえかきですよとはそもそも何なのかとか、どさんこワイド側はなんにも悪くないだろうとか、色んな思いがあるかもしれない。
ここで語ることの出来る事実は、私が母に怒りと痛みのまま捲し立てたこと。そして母は終始げらげら爆笑していたことである。腰の頑丈な女は精神までもが頑丈なのだ。

「悪かった、悪かった、犬もごめんと言っているよ」

そう言って母は振り返って肩に担いだ犬の顔を見せて私のご機嫌を取ろうとしたわけだが、急に方向を変えられた犬は「はぁ?」という顔をしていた。お前、絶対今の今まで担がれたまま寝ていただろ。可愛い顔をしやがって。
もう、母には構っていられない。怒ったら勢いがついたのでそのまま横になってみることにした。
ひんやりと冷たい敷布団は安いマットレスの上に敷かれているために硬さがあったが、思えば今日腰をやった瞬間からほとんど腰へのダメージを避けるべく妙な体勢を取り続けていたので、漸く安らげる気がして私は安堵した。
しかし、ここで気を抜いてこのまま一眠りしてもいられない。私には、使命がある。この状態から果たして起き上がれるのか否か。それを調べなければいけない。

「で、あんた。起きれるのかね」

腰の頑丈な女が、山賊のお頭のような豪快な座り方をして敷布団に寝そべる私をほぼ真上から見下ろしている。
私はどうにかして腰に痛みが発生しない起き方を編み出そうと、とりあえず硬い敷き布団の上で左右に身体を軽く揺らして最適解を探すものの、右に揺れようが左に揺れようが痛い。なんなら、なんか背中もふくらはぎも痛い。
揺れる度に呻く私を、母はじっと見つめていた。時折この状況に次第に飽きてきた犬がワン!と鳴いた。

「ぐぅ……っ!!」

手負の獣のように呻き声をあげながら、布団の横に置いてあるテーブルに掴まって身体を起こそうとする私に、母は「いいぞぉ〜頑張れぇ〜」と言った。明日ぎっくり腰になればいいのに、そして腰が頑丈神話に突如として終わりを迎えりゃあいいんだと心から願いながらなんとか膝立ちの状態でテーブルに突っ伏すことが出来た。
問題はここからだ。私は朝から理不尽に強いられ続けてきた腰痛生活の中で、気付いていた。腰は真っ直ぐに伸ばす時が一番痛いということを。

「助けてくれぇ〜っ!!」

私は叫んだ。助けを求めたのは母にでもない、母に担がれたままのマルチーズにでもない。もう、誰でもよかった。誰でもいいから、助けてほしかった。
不意に昔流行った映画のワンシーンを思い出す。空港の真ん中で誰か助けてくださいと悲痛に叫んでいた俳優のあの姿を。
感涙必須であろうあのワンシーンと比べるには、この現状はあまりにも情けない。世界の中心で叫ぼうが、実家の居間の中心で叫ぼうが、誰も助けてくれない。腰痛は無かったことにならない。
膝立ちのままテーブルに突っ伏す私の中では、まるで走馬灯のように昨日の記憶が流れていた。
偶には運動でもしてやっかと軽いノリでスクワットを50回ほどやった。あれか?あれが駄目だったのか?まずはストレッチで凝り固まった筋肉をほぐし、正しいフォームと清い心で取り組むべきだったというのか?もう何も分からない。

流石に可哀想になったのだろうか、終始呑気に構えていた母が始めて深刻そうに言った。

「今日明日はまず間違いなく助からないと思うよ、可哀想にねぇ!」

【完】

追伸

因みに、助かるまで(問題なく立って歩けるようになるまで)5日掛かった。私の願いは、頑丈な腰を持って生まれ直すことです。

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます