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休むを選ばせてくれた人々へ

至って元気ですっていう記事なんですけど、その過程で元気って言えるかなぁ!?ほんとかなぁ!?という文章が時折茂みから飛び出す仕様の記事となっています。新年早々陰気な話は聞きたくないんだぜ!の皆様におかれましてはここで引き返して頂き、いつか心から陰気臭さを求めた時にまたお立ち寄りいただきますようお願い申し上げます。


突然なのですが、私は正月に産まれました。一月二日、正月ど真ん中。母ちゃん曰く今まさに太巻を食べようとしたところで産気づいて私は産まれてきたのだそうです。この食いしん坊エピソードを正月だけじゃ飽き足らず太巻を食べる度に高頻度で提供される人生を歩んで参りました。私自身、太巻を見たり食べたりする度に高頻度で出生に思い馳せたりなどしていますというのは真っ赤な嘘で特になんの思い入れも抱いておりません。

何故そんなどうでもいい話をしたのかと申しますと、その母ちゃんの太巻を犠牲にして爆誕した私の誕生日から私の休職が始まるからです。Twitterでは早めの段階で報告はあげていたのですが、労働に対して心身共に「無茶言うな」の状態となり鞭を振ろうが飴を24時間与えようがどうにもならなくなってしまった次第です。私自身、その「無茶言うな」の訪れは割と唐突で「え、今?」って感じだったんです。しかし、無茶と災害ほどアポを取らない上に情け容赦ないものはなく「今と言ったら今だが?」に逆らうことが出来ませんでした。せめてインターホン鳴らす前にLINEでもくれたらココアでも淹れたってのによ。

新年一発目の記事はこれを書こうと決めていました。
テーマは「何故休職に至ったのか」であります。

よっぽど私に興味無ければすげえどうでもいいこと山の如しのテーマ、実に私らしい。今年も始まって早々に私ってば最高。とでも言い聞かせ続けなければ今すぐにでもこのキーボードを打ち続ける指を止めてこの記事の存在をなかったことにしてしまいそう。なので、鉄は熱いうちに打て。オタクは早口のうちに言いたいこと全部言えと申します通り、この記事の完成を目指して頑張りたいと思います。ここで躓いてられないんだよ。

どうか、お茶やココアやミロや酒など任意の飲み物を飲みながらご覧ください。
書いてる本人も何処に着地するかわからない記事です。人生がパルプンテ。

冒頭にも書いたのですが、元気なんです。とても元気。多分そこら辺の元気無い人連れてきて一列に並べたところに私を混ぜた時点で、試験官に「君入る列間違えてるよ。帰って」と言われるレベルで元気。お呼びでない?こりゃまた失礼〜!と小粋でお茶目な笑顔を浮かべながら退場できることが出来る範囲で元気。そんな自他共に認める元気だと思っていたそれが、ある朝突然無くなっていました。

具体的にどんな元気の無くなり方をしたかと申しますと、シンプルに「あーあ!明日も仕事かよ!せめて夢の中ではいい夢見たいよなまったくよぉ!!」と布団に入って眠って次に目覚めたのが朝だったのにも関わらず、アラームが鳴り響いているにも関わらず、起き上がることが出来ませんでした。
前々から寝ても寝ても眠い時があったし、もしかするとそれかなぁとも思ったんですが、眠いわけではない。私は根が能天気で責任転嫁の上手いオタクなので、こうなったら超常現象や妖怪のせいにしよう。私は今金縛りにあっているのだ!という即席の理由も作ってみましたが、あまりにもアラームがうるさいのでアラームを止めたばかりです。めちゃくちゃ動いてました。これが金縛りだったら縛ってる方もさぞ驚いたことだろう。

HPは残ってるのに、体力ではない何かが0になったまま回復していなかったのです。車はあっても車のエンジンを掛ける鍵が無いみたいな。RPGだとどんなに安かろうが宿屋に泊まりさえすれば何もかもが回復しているのに、毎月安くもない家賃払ってる安寧の地であるはずの自分のアパートでこんなことってある?あるんだなぁ、これが。
結局、己の心と身体を騙し出勤はしたもののたまげる程使い物にならず12時で早退してきました。それでも昼ごはんが必要だよなとセブンイレブンに寄ってもち麦おにぎり買ったりしました。ね、元気でしょ。元気なはずなのにどうしてだろうという不思議が止まらなかった。これが昨年の9月頃の話です。

そこからは悪くなったり良くなったりしながら進みました。全く何も出来ず、最低限のことすらこなせず、自分を責める日もありました。しかしその反動でなんでも出来て、出来なかった日の分も一気に「俺に任せといてくれよ!!」と心の飛び出し坊やが飛び出して回収したり担ったりしてくれました。この時点で気付くべきだったと思います。出来る日も出来ない日にも適量の頑張りが存在すること。適宜というものがあること。昔から、レシピに記載される適宜が理解出来ず取り敢えず大匙1からのスタートをしてきたバカタレなのです。数滴のところを大匙でいくのです。人生下手くそか。

日記を読み返すとよく分かります。出来なかった日と出来た日の日記はまるで別人が書いたかのようでした。とは言え書いてるのは私本人なので、書いた時の記憶はしっかりとあります。そこから読み取れたのは「何か理不尽な目に遭ったり酷く落ち込んで塞ぎ込むようなことがあった大体次の日かその更に翌日に、何かを取り返そうと必死で頑張り過ぎな程に何かを頑張っている」という一種の感情と行動のルーティーンでした。
よく言う「まぁ、明日の私がなんとかしてくれる」の極端verを無意識にずっと自分に強いていたのです。さぞ辛かっただろう、私よ。ドラえもんのように時系列順に5人くらい私を並べて大喧嘩させてやったなら、間違いなく一番怒り狂ってるのは無責任に託され続けてきたいつかの明日の私達です。これがバーフバリだったら間違いなく首を持ってかれてた。

そんな頑張りの適宜を大匙スタート、調子の良い時だけ数滴で足りるとこに1000mlの頑張りをダバダバ注ぎ込み、いざというとき足りなくなってこの世の終わりだ最早ここまでだと嘆く人生下手くそ生活を送ってきた結果。私に待っていたのは心のエンストでした。


エンストしてどうしたのかと言えば、仕事をしました。心のエンジンがかからないのに仕事をしていました。決められたシフトで時間通り出勤し、決められた業務をこなし、身体を動かしてお金を稼いでさえいれば。忙しさに追われていればそのうち、きっと、多分、恐らくどうにかこうにかエンジンもかかるようになるだろうと。だって休んでられないし、人も足りないし、行けば酷い目にも理不尽な目にも遭うけど居ないと困ると言ってくれるのだから。利用者さんだって当たり前だけど全員が高齢者、明日どうなったっておかしく無い人ばかり。責任を持たなければ、頑張らなければ。自分で選んだ仕事なのだからと。

今こうやって思うまま書き出していても、何を言っているんだい?チャーリーブラウンって感じなんですけど。たまげたことにずっとこの仕事を続けてきたが故に7割は本心だし休職決めた今でさえ薄ら思ってるほどです。人間の脳みそって不思議だね。誰か上手いこと取り出して丸洗いしてまた元に戻してくれないかな、脳みそ。

9月の時点で割と溺れてたところに、労働に加えて家庭でも色々ありました。それは祖母の認知症の進行であったり、大好きな犬の老いであったり、母の外科と内科の手術であったり。いくらなんでも畳み掛け過ぎなんだわ。この時期の日記にダントツで登場する言葉は「何事にも限度がある」(極太サインペン殴り書き)です。ウケる。何わろてんねん。兎に角感情がずっと乱気流に入っていた気がする、この一年は。

起きたことや出来事やその背景を順を追って説明しているとこれを本にした時、世界のネガティブ大事典のような広辞苑並の厚さの何かが爆誕するだけのような気がしてきたのでここから一気に省くんですが。9月の時点で最早限界だったのに、自分に騙し討ち喰らわせ続けながら心がエンストしてんのに、労働を続けながら最終的にどうなったかと言えば“自宅にいてネトフリで水曜どうでしょう観てるのに突然泣き出す”が突然やって来ました。大泉洋が路面状況に文句垂れ流しているシーンで、涙と鼻水垂れ流したわけです。

流石に感じたよね、命の危機。

それでも根っからのおちゃらけ精神が抜けない私は友達にそれを笑い話のように話しました。なんでも大丈夫大丈夫と鏡月ラッパ飲みしながらご機嫌に適当に聞き流してくれる友なのです。大丈夫じゃなくなればなる程、何故人は大丈夫という言葉を欲するのでしょうか。それも私の場合はそんな時の大丈夫は適当であればあるほど効くという謎属性のため、特効薬のような存在でした。藁にも縋る想いでLINEしました。藁にも縋り過ぎて、水曜どうでしょうのなんでもないようなシーンで号泣したというたったそれだけのことを超長文でしたためる始末。小説家になろうの投稿フォームと間違えたんか?

すると、すぐに既読が付きました。
いつもの適当な返信を求める私に届いた彼女からの最初の一言は
「お願いだから、もう休んで」でした。

大丈夫が処方されると思ってたのに、飛んできたのは居ないと思っていたレフリーからのタオルだったので心底驚きました。そこからポツポツと一言ずつだったり、ちょっとまとめてだったりを繰り返してメッセージが連続で届くのをiPadの中で何かを叫んでいる大泉洋そっちのけで眺めていました。
送られて来た内容は本当に飛び飛びで、「ONE PIECEの完結が楽しみじゃなかったの?」だったり、「どんな形でも自分の本を出すって言ったから、ずっと待ってるよ」だったり。いつか私が酔っ払った彼女に話した未来の話がそこにはありました。そんな些細なことも覚えていたの?という、私さえ言われるまで忘れていた行きたい場所やしたいことも彼女はそこに並べてくれました。彼女は心底怒っていたし、悲しんでいました。故に

誰なんだよ、ここまで追い込んだ奴らは。全員ぶっ殺してやりてえな…ほんとうによ……」

という嗚咽まじりのバーサーカーが降臨する事態となりました。

その後、素直に状況を話しました。何も楽しくない話だ、聞いても面白くもないし答えが見つからないからオチも何も無い話だと言う私に「寧ろここまで来てそれを気にするの?ストイックな芸人でもそこまでしないと思う」と言って聞いてくれました。たまに唐突に酒のツマミを取りに行ったり、クロネコヤマトから荷物を受け取ったりしながらも、全部聞いてくれました。レフリーは最早リングにあがってきていて、私とリング上で並んで体育座りをしていました。鏡月を水のように飲んでいました。

休職という道があることも、彼女が教えてくれました。辞めるか残るかの2択しかないと思っていた私にとっては考えつきもしなかったことで、今ならそうだよな休むという手もあるなと自力ルートで辿り着けそうなものですが、エンストして暫く経つ私にとっては至難の業でした。だから「何も道は辞めるか残るかの二択じゃない。休むって道もあるんだから」と目の前に二本しか無かった道を三本に増やしてくれたその一言が本当に有り難かったです。

道がたった一本増えただけで、通行止めによる脳味噌の渋滞が解消されました。とっくに赤信号だったにも関わらず、信号無視を続けあちこちぶつけてボコボコになっていたエンジンもかからない心と身体を、自分自身何処かもう何をしても手遅れだと思っていました。しかし、道が増えただけで。休むという可能性を教えてもらっただけで。通行止めになっていた先から流れ込んできたのはやりたかったこと、観たかった映画、読みたかった漫画や本。随分前にいつか元気になったら続きをとそのままにしていたゲーム。ありとあらゆるいつかの元気、いつかの休みに後回しにしてきた私が好きなもの達が久々に近くまで来てくれました。

ただ増やすだけだった観たいものリスト
ただ追加だけして読んでも無いのに入れ替えられていくKindleの prime対象の本達
面白いのに6話から観なくなってしまったアニメ
起動画面のローディングでもう耐えられなくなった未クリアのゲーム
これは映画館で観たいとメモしていたのにとっくに公開を終了した映画達

一つ一つと向き合いながら、そうだった。これが好きだった。これも好きだ。これも好きで、私はこれも好きだったんだと。いつからおざなりになっていたのか、いつかの休みや出るかも分からない元気に頼りきりにするようになったのは社会人になってからなのか、それよりも前のことなのか。もう思い出せないほど遠くまで来てしまったけど。
少なくとも、社会に出てからは休まずにここまで来ました。辞めてもすぐに仕事を探しました。家族も友達も誰もそんなことは言わないのに、シフト交代制の仕事で休むにも休めない中必死に働き続けてきた中で、いつの間にか休むことは悪いことだと脳みそが誤作動を起こしていたのかもしれません。ずっと警報が鳴っていたのかもしれません。警報すら聞こえないフリをしていたのだから、そりゃあ私も私自身にキレるし匙を投げます。大匙は握ったままなのにね。

休むという道を示してくれたのは友達で、選ぶことを決めたのは自分だけど、その選択の決定キーを押すきっかけになったことは沢山あります。家族であったり、大切な人であったり、SNSのフォロワーであったり。続けてきた日記の中の自分の声であったり。
休むことを決めた時、沢山の温かく優しい言葉や励ましの言葉を掛けて頂きました。いつも元気が出る、明るい気持ちにさせてくれると言って下さる方が多い手前、元気でも無ければ明るくもない報告だった為にもしかしたら失望させるかもしれないと思っていましたが、そんなことはありませんでした。届いたのは沢山の優しさと、愛情と、労りの声でした。仕事で受けた理不尽も、ひどい扱いも、仕事では報われなかったけれど。代わりに私を近くで見てきた人達が絆創膏や包帯や傷薬を持ってきてくれたようで、本当に嬉しかったし泣いた。

休職に至るきっかけなんて考え出したらキリがないけど、この数年に及ぶコロナ禍というのも私にとっては大きかったのかもしれません。幸い私自身はまだ感染せずに済んでいるし、施設での感染者も出ていないもののまだまだ終わりも見えなければ先も見えませんからね。感染させるわけにいかないという緊張はずっとあったし、コロナ禍に入って家族と面会も満足に出来なくなってからは目も当てられない現状が続きました。それは改善されることもなく、寧ろ悪化していって、今日もきっと何も良くならないままなのだと思います。
家族に面会も出来ないまま、持病であったり高齢が故であったり、様々な理由で家族に会えないまま弱っていく利用者さんを見ているのも辛かった。どうしてこの人はこんな思いを強いられなければならないのか、どうして折角長生きしたのにこんな目に遭わされなければならないのかと、考えてもしょうがないどうしてを自分の中で殺しながら働く日々でした。産まれた孫に会いたいと言った人は、結局最後までその願いは叶いませんでした。

この数年で、芸能人だけでも沢山の人が自ら死を選んでこの世を去りました。絶望するにはうってつけの時代です。沢山がっかりするし、酷い目に遭うし、頑張りたくても頑張れないどころか頑張ろうとした瞬間に踏んづけられるような思いをすることも多い。それは働いてても休んでいても同じで、寧ろ休んだ時の方が踏んづけられやすいすらある。

それでも、まだ休んで一週間程度ですが、休むとはなかなかいいものです。

休むと決めてから再び私に寄ってきた私の好きだったもの達は、寄っては来るけどなかなか手の届く範囲内には来てくれません。働き始めてからずっと元気になればね、体力があればね、そのうちにねと後回しにされ続けてきたのだからまぁしょうがないなと今は信頼関係の再構築中です。来いよ、餌はここだぜ。

皆さんはどうでしょうか。今日も一生懸命働いてますか、それとも一生懸命休んでますか。布団に入ってゆっくり眠れていますか、踏んづけられて嫌な思いをしていませんか。コロナ禍でお母さんに会えず、お母さんの手料理が食べたいと泣いていた看護師の女の子はあれからお母さんに会えたんだろうか。実家で飼っている犬が具合が悪いけど東京から田舎には帰れないからと涙目で我慢していた子は、犬を抱き締めることは出来たんだろうか。成人式を迎えたらディズニーランドでお酒を飲むのが夢だったのに叶わなかった子は、あれから大好きなディズニーランドに行けたのかな。
沢山の人の日記のようなお手紙にはじまり、相談や悩み事を聞いたり、適当な返事にも関わらずそれがいいと言ってくださる方々と交流しているうちにタイムラインの祖母になっていました。おばあちゃんは元気です。介護度4だけど。はちゃめちゃ元気。

元気はあなた方に貰いました。励ましも、慰めも、労りも。

どうかこの一年が皆さんにとって、去年よりちょっとはマシで、ちょこっとは報われて、そこはかとなくぼんやりと健康に暮らせる年でありますように。

ありがとう。


助けてくれた全ての優しい方々とあなたへ

柔らか仕上げのフクダウニー


この記事が受賞したコンテスト

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます