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3年ぶりに交わしたメッセージにはあの時キミがよく使っていた絵文字が添えられていた


専門学校の時、キミに出会った

キミとはクラスも違ったけれど
目立つファッションで
よく大声を出していたから校内の廊下ではよく目にしていた


誰とでも仲良くて、男女問わず距離が近い
初めてできた彼氏と繋げてくれたのは
キミがキューピットだった

入学して友達という友達ができなかった私に
向こうから声をかけてくれたのがきっかけ

キミといつも一緒にいた子が不登校になり、
私と過ごす放課後がどんどん増えていった

でもそれも束の間で、不登校の子は何故か元気に学校にやってきた時は凄く嫉妬心が抱いた

「もうキミと騒ぐ放課後もなくなるのかな」

「キミとの秘密話が出来る時間はもう終わってしまうのかな」

そう不安を抱いていたけれど
キミは一切私から距離を置こうとしなくて毎日一緒にいてくれた

私の弱みは全て、その子に預けてたし
キミの弱みも預けてくれた

日々が楽しかった

キミから紹介された男の子と私は付き合い始めてから三人でいることが多くなり、放課後や休みの日は
課題を一緒にやったりふざけて遊び呆けていた

教えてくれたユニークな音楽も家系ラーメンも
まんまとハマって何度もキミと一緒に繰り返す

友達にドタキャンされた日、キミは急いで会いに来てくれたり
毎度私のお家に泊まりに来る時は弟、母とも仲良くしてくれていた

ある日、キミは私にこう打ち明けてくれた


「実は私は躁鬱なんだ」と。


でも、それを言われる前から少し察していた所はあった

学校や外ではいつもヘラヘラにこにこしているけど、たまに私に見せる裏の顔はかなりネガティヴで自信なさそうで

「死にたい」と言うことが多々あった


夜中に過呼吸になりながら電話してきた時も

「私がいなくても誰も悲しまない、

誰もいない所に行って死にたい」

と言われた


その時「大丈夫?」という言葉が出なく、
「勝手なこと言わないで。そんな事誰が言ったの」
と私も泣きながらそう答えた時があった

躁鬱の子に対して、どう接したらいいのか
分からないのも一つの理由だけど
その時、一番抱いた気持ちは

「死んでほしくない」だった

朝が来てキミからメッセージが来た


「突然、勝手なこと言ってごめん。

閏を悲しませてしまった。」


私は本気では怒ってはいなかった
ただただ、大好きなキミだったから
悲しくて仕方なくて怒鳴ってしまった


「私という存在を受け止めてくれてありがとう」
と言われたその日から
この子の事きちんと理解して一緒にいてあげたいと
思った。


けれど、全てを受け止めていた私はキミの世界に
足を踏み入れすぎたみたい


2年になって段々キミと話す時間、会う時間が少なくなっていた
学校もたまにしか来なくて、オンラインで授業に出ることが増えていった

今思えば
久々に学校であっても髪の毛はぐちゃぐちゃで
メイクもしていなくて、目に光がなかった

私はちょうどその期間、
彼氏と揉め事をし別れる直前に至っていて
「別れたくない!!」と
事あることにキミに頼り、甘えてしまっていた
目の前にいるキミの状況や気持ちに
ちゃんと寄り添えていなかったと思う

最高に自分勝手だった


その時はいっぱいいっぱい励ましのメッセージをしてくれていたが


ある日学校に来たキミに話しかけたら


無視をされてしまった

最初は、聞こえていなかったのかと勘違いをしていたけど全然そうじゃなかった


そして、キミは学校に一切来なくなって

ついに、退学をした

風の噂でキミが私の悪口を沢山言ってると耳にした私はその噂にまんまと真に受けて被害者面をする
我満な女だった

「そんな性格してるから彼氏と別れたんだよ」と。

直接キミに聞いたわけじゃないのに

胸が痛くなって、楽しかったあの日常は
ずっと帰ってくることなく専門を卒業した。


続く




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