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アラサー女子、初めての一人暮らし記録⑬~祖父のこと~

祖父の一周忌がありました

祖父のこと

皆様こんにちは、omusubiです。
先日、祖父が亡くなって一周忌が終わったので
少し書こうかなと思います。

私の母方の祖父は実家のすぐ隣に住んでいて、
もともと住んでいた方を私達が住む家に、
すぐ隣に祖父母が住む家にしていました。
庭を挟んですぐ隣にあったので、
ほぼ二世帯住宅状態で私と妹は育ちました。
従妹は同じ県内にいるのですが、
やはりすぐ隣にいる私達とは違うので
夏休みやお正月など
まとまった休みに来るので
私達姉妹が基本的には
一緒にいる、という形です。

祖父母は本当に私達を可愛がってくれて、
特に祖父は車の運転が好きだったので
よく色々な所に連れて行ってくれました。
恥ずかしながら家から駅までも毎日のように
送り迎えしてくれて
祖父はクラウンに乗っていたので、
その車に私達がお迎えで乗ると
どこぞのお嬢だよと(笑)
いたって普通の家だったのですが(笑)
そんな風に私と妹のことを
本当に可愛がってくれて
色々と考えてくれてるおじいちゃんでした。

そんな祖父はもともと腰が悪く、
腰の手術から始まり、
癌も何回かしていたので
ここ最近は手術することも
多かったです。
癌は幸い初期で見つかったので
手術してなんとか回復していたのですが、
最後の方は心臓があまりよくなくて
それで亡くなりました。

祖父は寂しがり屋さんで、
祖母のことが本当に大好きで
トイレに立っただけでも
祖母のことを探しちゃうくらい(笑)
そんな祖父は
自営業で自分の会社を持っていました。
今は父が継いで経営しています。
会社は無事に今年50年を迎えて
祖父も喜んでいると思います。
中小企業の社長さん、
という感じでとても仕事熱心で
仕事と家族が好きな印象です。
仕事も家族も大事にしていました。
私は、祖父の人生のたった30年間しか知りませんが、
母や叔母から聞く話では、
母が子供の頃は
休みがあるといきなり旅行に行ったり
遊園地に連れて行ってくれたり、
忙しい中でたくさん遊びに連れて行ってくれた
そんなお父さんのようでした。
家に人を招くのも好きで、
会社が始まった頃は
よく従業員の人を招いて
宴会してたみたいです。
その当時はもちろんいないし、知らないですが、
なんだか祖父らしいなって
人が好きだったんだなって
聞いててすごく想像できました。

その当時はご近所さんとも交流が
盛んな時代だったみたいで
今でも祖父母と交流していた
ご近所さんが住んでいるのですが、
祖父のお葬式に来てくださった方もいて
祖父の人柄が見えた気がします。
そんな祖父はもともと会社勤めしていた時に
営業職だったらしく、
すごく優秀で独立したい、と言ったら
止められたとか
やはり人と関わることが好きだったんですね
若き日の祖父のことは祖母や母から聞くしか
もう方法はないのですが、
幸い私と妹は祖父との交流がある方だったので
色々な話もしてきたのかなと
でも思い返すともっと話を聞いておけば良かったなって
そう思う事も多々あります。

祖父は食べることも大好きで
いつも美味しい物があると私達にも
食べさせてくれていました。
祖父は自分の持ち物や見つけたことを
独り占めすることは全く無くて
むしろ皆に教えたい!食べさせたい!
という精神の人でした。
自分の前に家族、みたいなイメージがあります。
そんな祖父に美味しい物をたくさん
食べさせてもらった記憶が
お肉もお魚も色々と見つけては買ってきて
私達に食べさせてくれる人でした。
お酒も大好きで本当に毎日のように
晩酌を楽しんでしました。
胃がんの手術をしても
お医者さんからGOが出たらすぐに飲んでました(笑)
タバコは禁煙できたのに
お酒は最後の方飲めなくなるまで
きちんと飲んでたようです(笑)

私や妹が成人した時は
喜んで美味しいお酒を飲ませてくれました
外国で買ったウイスキーや
ブランデーなど普通に生きてたら
私みたいなのは飲めないやつ(笑)
今でも大人な味なので良さはよくわからないけど(笑)

旅行も祖母とよく行ってました
20年くらい前は海外もよく行ってて
お土産に色々と買ってきてくれました
懐かしい…

祖父が亡くなる直前

亡くなる前は足腰も悪くて
心臓も悪かったので
あまり外には行けなかったんです…
母が一生懸命介護していたのですが、
やはり1人でやっていたし、
トイレや食事の塩分管理など
大変なことも多々あり、
週に何回かデイサービスに行ってもらってました。
でももうそろそろ施設に預けさせてもらおうか、
という話が出ていて祖母と母と叔母で
どこが良いか見学に行ったり説明を聞いたりして
もういよいよ、というところで
祖父の心臓の調子が悪くなり
入院することに
とりあえずそんなこんなで
施設の話は一時中断
母も祖母もほぼ毎日
お見舞いに行く日々になりました。
私や妹も行ける時は行く感じで
(妹は鹿児島に移住していたので帰省時に)
でも状況はあまりよくなくて
いつも診察してくれていた主治医の先生が
一時帰宅をさせてくれる直前に
お見舞いに行ったのですが、
その時の祖父をみたらなぜか
涙が止まらなくなり、
今までも弱ってる祖父は何回か見ていたのですが、
その時は1番弱ってて
なんか切なくなっちゃったんですよね

その時には母からもういつどうなっても
おかしくない状況と聞かされていました。
妹も鹿児島から呼び寄せられ、
いつ鹿児島に戻れるかわからないけど
しばらくいてほしいと
そんな状況になると、
本当に祖父とのお別れは近いのかもしれない
という気持ちになりつつ、
なかなか実感はわきませんでした。

祖父が一時帰宅して何日かいたのですが、
やはり一時帰宅ですし
そんな状況なのですぐにまた病院へ
病院に戻った後、
またお見舞いに行って
少し祖父と話をしたのですが、
その時に話したのが私的にすこし
おかしくて(笑)
なんとなく仕事の話とかして
その後に祖父が
「昨日おじいちゃん死にかけたんだよ!」
って勢いよく話してました(笑)
呼吸がしにくかったのか
三途の川渡りかけたようです
でも勢い良くてなんかおかしくなっちゃって
おじいちゃんらしいなって
「えぇ?何言ってんの~?」
なんて返しながら、
その日は私は用事があったので
先に病室を出ましたが、
それが祖父との最後でした
祖父は途中で疲れたのか寝てしまって
また次の週もお見舞いに行くつもりだったので
起こさずに病室を出ました。
まさかそれが最後になるとは思いませんでした。

それから普通に仕事して
でも母から本当にもうどうなるかわからないから
電話はなるべく気が付くようにしてほしい
そう言われてたので、
仕事中に母から電話が掛かってきた時は
心臓が止まるかと思いました。
その電話はやはり、祖父が亡くなった、というもので
その時はとにかく切り上げて早く帰らなきゃと
その考えで頭がいっぱいで
とにかく早く終わらせて
後は他に任せて上司に一言言って
会社にとりあえず戻って帰らなきゃと
必死だったし、まだ状況がよくわかってないので
悲しむとかそんな余裕はなくて
急いで最寄り駅に向かいました。
祖父が安置されている場所が
駅から少し離れた所で、
本当は病院に向かおうと思ってたんですが、
もう時間的に間に合わないと
私は病院には間に合わなくて
直接安置所に向かうことに
私が先に着いていて
母たちもすぐ後から到着したのですが、
あの日見た祖父がいきなりもう
動かないしなんかよくわからない状況で
その時に悲しさが込み上げてきました。

祖父は、祖母と叔母がお見舞いに行く途中で
病院から母に電話がありもうそろそろやばいと、
母は運転中の叔母のことを思い
あえてその時連絡せずにいたんです。
何も知らない2人は病室に行くと
もう祖父は亡くなってたみたいで
正確には処置してもらってたみたいなのですが、
もう厳しい状況だったようで
2人も驚いたようでした
だって何も知らずに行ったら
祖父はもう亡くなる直前だったんだから
驚きますよね
なので祖父は少しだけ祖母に会ってから
亡くなりました。
私はその場に行けなかったし
病院で祖父の最後に立ち会えてないのですが、
きっとその場にいたら私の悲しみは
より一層深い物だったと思います。
だから祖父もそれをわかってて
きっと私にその場を見せないようにしてくれたのかなって
そう前向きにとらえました。
病院に行けなかったことは
本当に後悔してます。
もっと早く行ってあげれれば
病院で会えたかもしれないのにって
でも祖父からのメッセージだと思って
前向きにとらえることにしました。

親戚含め誰かがなくなる状況に
あまり触れてこなかったので
初めてのことですごく悲しくて
何も考えられない状況でした。
特に祖父との思い出はたくさんあったので

お通夜もお葬式もとにかく泣きました
妹にはちょっと引かれるくらい(笑)
でもおじいちゃんは本当に優しかったし
私はおじいちゃんにとって初孫で
本当に可愛がってもらった自覚があるので
悲しかったんですよね
そんなおじいちゃんが亡くなったことが
現実的じゃなくて
信じられなくて
でも現実は待ってくれなくて
母は銀行のこととか会社のこととか
事務的な事も諸々やってて
それも本当に大変そうでした
この1年母は悲しむ暇もないくらい
色々な事に追われてそうな感じでした。
お仏壇見に行ったり
お盆の用意見に行ったり
毎日お線香あげて
日常だけど突然訪れた非日常みたいな…

それから何回か祖父は夢に出てきたりして
亡くなったすぐ辺りはあったのですが、
ここ最近はなかなか出てきてくれないな~
なんて思ってたら
ついこの前出てきてくれました
家族で買い物してるのかな?
なんか靴とか見てた気がします。
おじいちゃんも最後は歩けなかったから
新しい靴欲しかったのかな?
なんて思いながら

一周忌が終わってやっぱり
あれから1年経ったことが
今でも信じられないですね
時が経つのは早いし
祖父がいなくなった世界で
1年過ごしたことも
いまだに信じられなくて
一周忌しながら
あぁもういないのか~みたいに
思ってました
変な感じ
でも祖父は本当に色々な人から
慕われてたのでお通夜もたくさんの方が
来てくださって
コロナ禍だったので
なるべく人が来ないように、
という配慮はしても200人近くは来てたと思います
だからコロナじゃなかったら
もっと大変なことになってたかもしれないです
お花も本当にたくさんあって
祖父の棺に入れる時に
顔以外全部お花を入れてあげたのに
まだまだ多くて溢れかえってました
祖父は胡蝶蘭好きだったので
嬉しかったと思います。

正直、今も書きながら
涙が溢れてくるんですよね…
これから5年10年経ってもきっと
祖父のこと思い出して
私は泣けると思います(笑)
それだけ祖父の愛情は深かったんですよね

本当に祖父との思い出とか
思い出すと有り過ぎて書ききれないのですが、
長々とすみません!
今回はここまで!
お付き合いいただきありがとうございました。


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