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【育児】娘にはすでに「このおもちゃは私のものだ」という意志があるっぽい

私が小さかったころ、車のおもちゃである「トミカ」でよく遊んでいたものである。
その際に父親がやってきて「ちょっと見せてよ」と、トミカを一台すっと取って眺めていた時、私は心の底から「それは俺のおもちゃだから早く返してほしい」と思いながら、気の弱い私は何を言うこともなくただ父親が「奪った」トミカをまじまじと眺めていたものだった。

これは物心ついたころ、たぶん幼稚園ぐらいのときの話であるから、年齢にして4~5歳のころだ。振り返ってみればあのころには間違いなく私の中に「このおもちゃは私のものだ」という所有の観念が根付いていたということだ。

まがりなりにも父親になり育児を始めてしばらくになるが、娘が手に取ったものや手に取ろうとしているものを、こちら側が没収することがある。それはもちろん、危なかったり口に含むと体に悪かったりするからなのだが、その際に娘が「キエー」などと大きな声で騒いだり、泣き出したりすることがある。
泣けば歌を歌ったり犬のぬいぐるみをあてがうなどして適当にあやすのだが、娘をあやしながらふと、この世界に生まれてまだ一年も経っていない娘にもすでに、父の手にあるトミカを見つめていたころの私と同じような所有の観念があるのだなあ、という思いになる。

娘を育てる過程で、自分自身が子供だった頃のことを思い出して、当時の親の言葉がけや態度を顧みる瞬間がこれから幾度となくやってくるのだろうか。
よく、子育ての過程で親が育てられることを指して「子育てとは親育てである」と言われることがある。子育ての過程で自らが幼いころのことを思い起こす意味では、子育てとは親自らが歩んできた日々に落ちていた記憶や感性のかけらを拾い集めるような営みでもあるのかもしれない。

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