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オレンジジュース「なっちゃん」の思い出

サントリーの飲料で「なっちゃん」というオレンジジュースがある。この「なっちゃん」をめぐって、私にはちょっとした思い出がある。

3歳くらいのころから私には顎に腫瘍があり、腫瘍が膨らんでくると切除する手術を受けるため都心の病院に入院することがあった。
当時の私は何が起きているのかもよく分からず、ちゃんとした服を着てどこに行くのだろうと思いながら、実家から一時間半くらいかけて、いつの間にか小児科の病棟に連れられ、とりあえず一日二日過ごしてみると、どうやら親と離れてここに寝泊まりする必要があるのだと理解していたものである。

専業主婦の母親はよく見舞いに来てはくれたが、姉や父が家にいるためずっといるわけにもいかず、私が寝静まった頃にコソっと出ていったりしていた。朝方に看護師さんに起こされ、自分が一人であることを知るのはなかなか切ないことだった。

そんな切なさを忘れさせてくれたのは、同じように入院している少年少女たちだった。私の病室は4人部屋で、周りには常に誰かがいる環境だった。

思い返してみると、一番仲良くしていた腸捻転の少年やら、喉がストロー並みに細い兄ちゃんやら、何でも「ちょうだい」と言ってくる強欲な兄弟やら、いろんな人がいた。冒険心溢れる当時の私は他の病室への移動も自由にしていて、1-2歳児が入院しているところにいっておもちゃの車で遊んだり、ベッドの中で動き回る病児を見るなどして過ごしていた。
今思うとかなりゴッツい機械みたいなものが近くにあってほとんど動かない子供も多く、かなりの難病だったのかもしれない。

私が入院していたのが奥から二番目の病室で、小児科の一番奥に確か女子だけの病室があった。好奇心旺盛な私はそこにも時折「冒険」をしていた。女子だけの病室とあり少しは恥じらいを知った年頃、長居することもできず様子を見てサッと出るような有様である。

そこに一人の女の子がいた。当時は何の病気かもよく分からないまま一緒に遊んでいたのだが、食事の時間になると、ふつうは病院食を食べるのに、なぜか彼女の食事はきまってオレンジジュースの「なっちゃん」と魚肉ソーセージだった。

私は魚肉ソーセージが今に至るまで好きではないので羨ましいと思ったことはないのだが、彼女が病院食を食べず、毎日毎日その二つしか口にしていない姿を見て、なぜ彼女はなっちゃんとおさかなソーセージだけを食べ続けているのかを親に尋ねた。親は「そういうものよ」「特別なのよ」というような返答をしたが、次第にそんな質問をすることもなくなっていった。

退院後、10歳くらいのころだったか、彼女は一体何の病気だったのかを親に聞いたとき、白血病だったと聞かされた。そして彼女は魚肉ソーセージとなっちゃん以外のものを、あまり受け付けられなかったと聞いた。

私の病気は普通の腫瘍で死ぬほどのものでもない。彼女は、同じ子どもでありながら大病を背負い、否応なしに「生命を見つめる」ことを強いられていたのである。
今まで、私は自分の死を見つめたことがないと気づき実にがくぜんとしたものだ。彼女は私に「命を見つめる」きっかけを与えてくれた。

人はいつ死ぬのか――それは誰もわからないことである。だからこそ、生命を見つめて生きていくことで、今日という一日を最後のものだと考えることができ、そして一日一日は後悔の無いものになるはずだ。
入院していたあの日、彼女のいた病室に「冒険」していなければ、こんなことを思う事もなかったのだろう。
そして彼女が「なっちゃん」と魚肉ソーセージを口にしているところを見ていなければ、彼女に関心を持ち、そして彼女が白血病であると知ることはなかったのだ。

もし自分の娘が白血病だといわれたらどれほど動揺するのだろうか、子供にとって否応なしに生と死を見つめざるを得ない日々が訪れることは幸せなことなのであろうか…などと、「なっちゃん」を見るたびにふと思いが巡る。そうして飲む「なっちゃん」は、いつも少しだけ酸っぱいのだ。

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