10年前でも、もう幼い顔だと感じるようになった
実家に長らく置いてあった私物を持ち帰って見返していると、昔の写真が出てきた。
大学時代に学びを共にした、学友の写真である。
私は大学の時分、外国語学部で学んでいた。外国語学部は計画的な留年や不勉強による思いがけない留年が多いことで知られ、次第に人数が減っていくのが常であるのだが、出てきた写真は1~2回生のころのものだったのもありみんなが(おおむね)ちゃんと揃っていたので、懐かしく眺めていた。
一般に、世の中の大学にある外国語学部は英語やフランス語などメジャー言語と、ビルマ語やポーランド語などマイナー言語とに分かれている。学生数もメジャー言語のほうが多く、マイナー言語のほうが少ない。おまけに外国語学部は女性の比率が極めて高いことでも知られ、マイナー言語における男性の存在感は極めて希薄である。
かくいう私が学んでいたのは世にも珍しいハンガリー語という言語だった。言うまでもなくマイナー言語であり、それだけにひと学年でわずか20人弱しかいなかったので全員の顔と名前がわかる。なお、私の学年では男子が4人しかいなかったので、女性比率は75%超と驚異的に高い。
しかしまあ、皆の顔を見ていると実に若い。女性陣は本当に可愛らしい子ばかりであるが、男性陣は社会の厳しさなどを知らない生意気さが際立っている。街中でリクルートスーツで歩く学生たちに感じる幼さを、自らもたたえていたのだと思うとなかなか恥ずかしい気持ちになる。
大学一回生か二回生と考えると、当時はだいたい20歳くらいだ。たった10年でも、振り返ると自分の幼さをこんなにも感じるのか、と驚く。逆にいえば、それなりに何か積み重ねたものがあったということでもあるのだろう。
「40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない」という言葉は、エイブラハム・リンカーン元米大統領が残したとされる。顔は親から与えられるものだが、40歳を過ぎれば経験などが現れるものであり、だからこそ己の顔には責任を持つのは己しかいないのだ、ということなのだろう。
大人になってからは子供のときのように心身がそれほど成長しないからこそ、目つきや顔つきには積み重ねてきたものが本当によく出る。20歳からの10年で感じたこの幼さは、自分の顔に責任を持たねばならなくなる40歳になっても、同じように30歳のいまに感じるのだろうか。
さすれば10年間でいろんなものを積み重ねてみよう、という気にもなる。平和で余裕ある日々はだれしも追い求めてしまうものだけれど、だからこそ逆張りで少し忙しさを追ってみる日があってもいい。とりわけ怠惰な私であればなおさらなのであろう。
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