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「初志貫徹」は近くて遠い

「初志貫徹」という言葉がある。
始めに掲げた志を忘れずに一身に努力を続けて、最終的にその志を形にすることである。多くの人が志を忘れてしまったり、現実の兼ね合いでどうにも志などと言っていられなくなってしまったり、または志を形にすることを諦めてしまうものだ。それだけに「初志貫徹」とは、私たちにとって近そうで実は遠い言葉の一つである。

バレーボールを熱狂的に愛するある友人の紹介で、一人の男性に出会った。
色々と話を聞いてみると、将来は地元で政治家になりたいという。普通の会社員をしていたがこのたび政治家を育てる松下政経塾に入り、色々と人脈を広げている最中で、偶然私ともつながりができた、という流れである。
学部は違えど同じ大学の後輩である。実に殊勝なものだと思いながらその後も何度か彼に会い、そしてテレビに出たりいろんな催し物に参加したりしたという話を小耳に挟んでいた。そしてこのたび、彼は政治家になるべく立候補を決め、辻立ちなどを始めたという。選挙ドットコムでも文章を寄稿している。凄いものである。

政治の世界を志すとき、当然政治の世界の醜さ、政治の世界の恐ろしいほどの硬直性を認識し、そしてそれだけに「自分が何かできるのか」という無力さを覚えてしまうのだろう。それでも政治を志すという重いの強さには、感服せざるを得ない。

そして同時に、そういう志のある人というのは「目の前の仕事が面白くない」とか「最近退屈だ」とか、そういうことに意識を向けていない(というか、そんな余裕がない)のではないか、と思う。
普通の会社員が気にするような悩みを超えて自らが掲げた目標に向かって向かっているわけで、その過程にある平凡な日常とか仕事のつまらなさというものが、別に大した問題ではないようにみえるのだ。

私は幸いにも周りに夢を追う友人が多い(と思っている)ので、色々自らの生き方を考えさせられることも多い。
ただただ生きているだけで、誰しも様々な不安や悩みが心に去来するものだ。それに捕らわれて日々を過ごすとき、当然ながら志など意識しようもない。
志を立ててそれに向けて生きる人が近くにいれば、はたと自分の小ささに気づくことができる。初志貫徹を志向する人はなりふり構わず生きているだけで、平凡な友人にとってはかけがえのない刺激になっているのである。

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