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【経済】麗しの「日銀文学」のセカイ

大学生のころ、暇だったこともあってノーベル文学賞をとった作家の作品をかたっぱしから読む日々を送っていたことがある。ジョン・ゴールズワージーの「林檎の樹」やイワン・ブーニンの「暗い並木道」などを読んでいたく感動していた日々の中で、文学とは実に美しい世界であると知った。

社会に出てしばらくたつと、ひとえに文学といってもいわゆる小説の世界における文学だけではなく、政府や国の機関が発表する文章についても「文学」があることを知った。
政治の世界では「永田町文学」、省庁や役人の世界では「霞が関文学」、そして日本銀行については特に「日銀文学」と呼ばれる「文学」が有名だ。

最後に触れた日銀文学とは、日銀の事務方が作っていることから日銀幹部の発言も含めた概念とみなされることが多い。
この日銀文学は実に趣深いのだが、その独特さや難解さが「金融」という特殊な世界であることも相まってかなり際立っている。

2023年は日銀にとって大きな変化のあった1年だった。
というのも、総裁が黒田東彦氏から植田和男氏に代わり、黒田前総裁が始めた「大規模金融緩和」からの路線変更が植田総裁下で徐々に進んでいる、と金融市場でみなされているからである。
とはいえ、まだ路線変更は道半ばであることから「次は何がどう変わるんだ…?」という関心が市場では高まっている。それだけに、植田総裁などの発言や日銀が出す文書の一言一句に注目が集まるわけだ。

一つ、面白い事例を挙げてみよう。植田総裁体制では、副総裁として内田真一氏と氷見野良三氏の2人を擁する。氷見野氏は元金融庁長官で博学として有名であるのだが、一方の内田氏が日銀の出世コースを歩んできた人とされ、市場では地味に注目を集めている。

この内田氏の発言で一部で「芸術」と称されたものがある。2023年4月10日の記者会見で、内田氏は「今、日本銀行が直面している課題は、いかに工夫を凝らして、効果的に金融緩和を継続していくかということだと思います」と話したことがあった。

「ん?だからなんだ?」と思った人が大半だろうが、これこそがすごさである。
一見すれば「金融緩和を継続」すると発言しているので、現状の大規模金融緩和を維持するように見えるのだが、「いかに工夫を凝らして」のところにフォーカスしてみると、「工夫を凝らす」ことと「今のまま続ける」ことは必ずしもイコールではない、とも取れる。

そのうえで内田氏は「総裁からも申し上げた通り、現状においてはこの枠組みの中で緩和を続けていくということが適切なのではないか」とも言っている。
ここでひっかかるのが「現状においては」である。なぜなら、黒田前総裁は繰り返し「当面、現在の大幅な金融緩和を続けて…」と、「現状」ではなく「当面」という言葉を使っていたのだ。
「当面」と「現状」であればニュアンスは違う。「当面続ける」となればしばらく続きそうだが、「現状においては続ける」のであれば、現状の判断が変われば変える可能性はゼロではない。時間軸としてだいぶ政策修正が手前にあるような印象になる。

こうした事例を挙げればきりはないのだが、要はどうにでもなってしまう文言をちりばめて、金融政策を修正したとしてもしなかったとしても、それなりに整合性がとれることを言って「市場にはっきりとした確信を得させない」のである。
そして同時に、わずかな表現ぶりの違いに気づき政策の先行きに関する「予感」を察知する快感こそ、日銀文学の真髄に他ならない。

とはいえ、実際のところ、日銀文学をちゃんと読むのは、岩波文庫の古い哲学書を読むのと同じくらい困難な所業である。小説であれば美しさにただ酔うだけで仕舞だが、日銀文学であればある程度は社会の変化を追う点でも少しは役に立つ。
なにより、だからこそ困難な文学を読み解けたときの得も言われぬ快感はひとしおである。専門性は極めて高いが、文学のひとつとして日銀が発することばたちを見てみるのも、余暇の過ごし方として面白いのかもしれない。2024年が日銀による政策修正の可能性が高く、それだけに日銀文学の門戸は広く開かれている。

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