臭いだけでもういろいろダメになる現実社会の残酷さ
人間、いいところもあれば悪いところもある。完璧な人間などどこにもいないものだ。
人間の良いところと悪いところを同時に表現するとき、人は大体「バカだがやさしい」などと言ってみたりする。後半にプラスな内容を持ってくると、総じて全体の印象もプラスに見えるから、大概は悪いことを先に言う。逆に「やさしいがバカ」というと「バカ」のほうにフォーカスされてしまって、あまりポジティブな表現にはならない。
人間の欠点のひとつとして「臭い(くさい)」というものがある。口臭がキツイとか体臭がキツイとか、においが強いものはいろいろある。もちろん、においはもちろん病気による場合もあるから、そうした場合は致し方ないのは言うまでもない。
コロナ禍でしばらくマスクをしていてあまり気づかなかったが、いざマスクをとってみると大概人間は何かにおいがするものだ。私もその例外ではないものの、電車に揺られていたりすると時におじさまを中心としてかぐわしい何かが鼻をつくことがある。日々の激務や家庭での境遇などを勝手に慮ったうえでしかも臭いとなると実に不憫ではあるのだが、年齢を重ねればいつかはああなるのだろうという覚悟を日に日に強めている。
臭いという話ではとかくおじさんが批判されがちだが、ぶっちゃけいえば人間は老若男女問わず大概臭いものである。人間が臭いを発しうる「穴」を考えてみてほしい。シトラスレモンやフローラルの香りがする穴など、人間の体のどこにもない。若いころは誰もが汗臭いし、年を取れば加齢臭に苦しむ。人間は本質的に臭いのであり、こればかりはなかなかどうにもならない。
さて、人間が「臭い」という欠点を持っているとき、その欠点を補って余りある良いところを挙げられるかを考えてみよう。これはすなわち「バカだがやさしい」といった表現をして違和感がないプラスの特徴を見つけられるかどうかにかかっている。
ここで冷静に考えてほしいのだが、「あの人は臭いんだけどめっちゃ金持ちなんだよね」とか「私の友達、臭いんだけどすげーいいやつなんだ」といわれて、頭の中に強く残るのは「金持ちなのにくせーのかよ」とか「いいやつなのにくせーのかよ」と、要は「臭いのかどうか」ということの印象のほうが強く残るのである。「臭い」という特徴は、ポジティブな人間の要素を帳消しにするくらいのパワーを持つマイナスの特性なのである。
どんなに良い特性を持っていても(というか、よい特性を持っているからこそ)臭いという特徴が実にもったいなく思われるのは、臭さのネガティブさを我々がよく知っているからである。そして一番残酷なのは、そんなに重要な自分のにおいが臭いかどうかさっぱりわからない生き物が人間なのだ。においは人間に備え付けられた恐ろしい性質である。
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