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誤ってレコードのB面に針を落として名曲に出会った話

奥さんと旅行に行った時の話である。宿がアンティークなつくりになっており、部屋にはレコードプレイヤーはあるのにテレビがない、という現代においてはなかなかお目にかかれぬ空間であった。

レコードプレーヤーは(なんだかんだでまだ買ってはないが)個人的に好きで、「おお」などとひとりテンションが上がり、1980年代の昭和歌謡を中心にレコードに針を落としていたのだが、その際にふとテレサ・テンの「つぐない」のレコードを手に取った。

私はてっきりA面に針を落としたと思っていたのだが勘違いでB面に針を落としていた。「つぐない」が流れると思いきや全然違う曲が流れ始め、「あれ?」と思いながら聞いたのが「笑って乾杯」という曲であった。

イントロからお手本のような昭和歌謡ムードの曲調で、歌詞に英語はない。「笑顔にかくしてた 涙の跡を あなたはみつめてた」という一文に始まる歌詞カードを読みながら、別れに接した大人の女性の弱さを美しく描きあげた作詞者の筆致には感嘆するばかりだった。
「男性側も女性の気持ちは多分わかっているのだろうなあ…」などと別に恋が多いわけでもない私はひとり思いを馳せながら、何度か「笑って乾杯」を聞いた。

図らずして名曲を聴き「いい曲だったねえ」と奥さんと喋りながら、こういう形で偶然新たな歌に出会うことがめっきり減っていたことに気づいた。

音楽プラットフォーム内でもレコメンドはあるが、最初は曲との出会いがあっても気づけば同じ曲ばかりを聞いて広がりを失ってしまうものである。

「セレンディピティ(serendipity)」という言葉がある。偶然出会った幸運みたいな意味合いの言葉だ。
私自身、昭和歌謡との出会いは親が運転していた車のカーステレオである。そこからオフコースの「Yes-No」とか「愛を止めないで」を聞いて衝撃を受けてから今に至るまで昭和後期の音楽を聴き続けている。まさにセレンディピティよろしく偶然のたまものであった。
今回もたまたま勘違いでB面に針を落とすという、私が音楽に没入していたCDやMDの時代にもなかった音楽との出会い方をしたわけである。これこそがミステリアスで面白いのである。

世の中が合理的になったり効率的になる中で、実は極めて無駄な偶然に身を投じる日が減っているように思う。
アルバムやシングルのB面・カップリングとか、もっというと辞書とかの紙媒体のメディアもそうだが、たまたま聞いた・見つけたところに「おや、これは…」と、きっかけをもらう経験が、明らかに減っているのだ。
現代の筋肉質で無駄のない日常のなかだからこそ、わざわざレコードや本を買ってみて、あてもなく美しい旋律や言葉に身を委ねて突然姿を現す偶然を手にする瞬間の価値は、一層高まっているのではないか。

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