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「やめる」決断をしたとき㊤

人間、生きていれば様々な物事を体験したり経験したりするものだが、いつまでもすべてをやっているわけにもいかないので、そのうち何かをやめる時が来る。

「やめます」というのは勇気がいる。
付き合うときには「好きです付き合ってください」だけでよいのに、別れるときには男がやけに冷たくなったり女が泣いたりして何らかの禍根が残るものだ。何につけても、やっていたことをやめるのは面倒くさい。

それだけに、多くの人はやるかやらないかうやむやにしながらそのうちフェードアウトするようにしてやめる。恋愛も「自然消滅」なんて言葉があるけれど、まさにそれははっきりと「やめる」ことを意思表示せずに適当にやりすごすのが一番楽なやめ方だからである。

私も退職など、やめる決断は数えきれないほどある。そしてほとんどはそこまで後悔していないのだが、いまでも「あのやめ方は果たして正しかったのか」と思うのが、幼年期からやっていた水泳をやめたときである。


当時は競泳選手としてタイムを一秒でも削るために一生懸命泳いでいたわけだが、普段の練習・合宿はなかなかタフなものが多く、肉体の限界を感じるようになっていた(今思えば、すべての練習を真面目にやりすぎていたのだろうが…)。
ほかにも、これまでは練習すればするほど速くなるのは当たり前だったのに、練習してもタイムが伸びるとは限らなくなっていったという側面もある。

こうした環境下で、精神が軟弱な私は心がだんだんと弱っていっていたのだろう。「きっと行けるだろう」みたいな楽観が「もう無理」という悲観に変わっていくなかで、やめる理由を探し始めていたのである。

ちょうど中学二年生だったので「受験がある」という理由を見つけることができた。そしてちょうどそのタイミングで全国大会にも出られたので「全国を目標にしていたので目標達成した」という理由もあった。
これで「逃げよう」と思ったのが、率直なところである。

「やめる」といったときのことは今でも鮮明におぼえている。コーチ室に入ると「次の試合の申し込みしないのか?」と聞かれた。
その言葉に「やめたい」という旨を、「受験だから」などと理由を添えて伝えた。コーチは何も言わず「そうか」と受け入れた。おそらく練習の様子なんかから、何となく感じ取っていたものがあったのだろうと思う。

実はこのとき、私は親に一切水泳をやめることを相談していなかった。コーチに言って、事務員のおばさんにやめることを伝えてから、家に帰って「水泳をやめる」と親に伝えたのだ。親も「そうなの。もったいないね」と言うだけだった。思春期だったこともあって、それきりコミュニケ―ションは取らなかった。

それから数日後のことである。いつものようにみんなで体操をしていざ練習に向かうタイミングで、コーチが私と同じコースに所属するみんなを集めて、こういった。
「全国大会が終わったら、おおぬきくんは水泳をやめます」(つづく)

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