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「ありのままに描く」って意外と難しい

「なんか上手に文章を書けなくて…」というひとは少なくない。
曲がりなりにも文章を書く仕事をしているわたしも「どうやったら文章を書けるようになるか」と聞かれることもある。

別に私もリルケよろしく流麗な言葉を紡げるわけではなく、文章がうまいと自負しているわけでもない。でもそんな問いを投げられたら「知らねえよ」というわけにもいかず、「うーん、こんな風にやったらいいんじゃないんですかねえ」などと自分でも腑に落ちてもいない回答をしてしまう。

この問いに向き合っているとき、最近思ったことがあった。

突然だが、私は絵が下手くそである。一方、世の中にはたくさん絵がうまい人がいる。
絵がうまい人にどうやったら絵が上手になるのかを聞くと「目の前にあるものを、あるがまま描けばいいんだ」と言われたことがあった。

しかし、絵が下手な人はよくわかると思うのだが、目の前にあるものをありのままに描くことほど難しいことはない。
人間の顔を描こうものならアバターのような気味の悪い化け物になり、物体でも大体意味不明な輪郭になり一気に超現実(シュールレアリスム)の世界を作り上げてしまう。

馬鹿にされやすいのだが、実は「そのまま真似をする」というのは意外と難しい。初めて学ぶ外国語を話すときにも、発音で苦労するケースはままある(わかりやすいやつだとフランス語のrとか)。
これは、絵を描くことや話すことだけではなく文章を書くことにおいても同じなのではないか、と最近感じるようになった。

そういえば、記事で間違いを犯したときに社内で有名な編集委員の文章を「写経」するよう求めてきた部長もいた。新聞という世の中でも相当に醜悪な文章を写すというのは人生にとって最も無価値な時間の一つだろうが、いま思えばあれも似たような話なのだろう。

新聞を写すというのはまったくおすすめしないが、歴史に名を残す有名な作家や美文家と呼ばれる人の文章をそのまま真似をしてみることが、意外と文章を書く力を引き上げることにつなげるのかもしれない。

となれば「文章が下手くそだ」と悩む人にはまず「なんて美しいんだ!」「これはすげえ!」と思えるような文章に出会う「旅」が必要になる。

歌の世界でもいいし、小説でもいいし、詩でもいいし、なんでもいい。そんな文章に出会ったときにそれをそのまま写していけば、自分だけの「ことばのノート」ができる。紙の上で言葉に向き合う謙虚さが文章をうまくする一つの要素なのかも知れない。

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