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【育児】すいません育児ナメてました

少し前に岸田文雄首相が「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押しして参ります」と国会で発言したことが話題になった。
要は育休中のリスキリングを支援するという話なのだが、育児休暇中にリスキリングする暇なんかねーよという批判を受け、釈明に追われていた。

まあ政治家の言葉は揚げ足取りと批判のために我々民衆によって消費されているところもあるのでまあそんなもんかと思っていたのだが、いざ育児休暇(という名の有給休暇の消化)をしてみると、「育児休暇中にリスキリングする暇なんかねーよ」と言いたくなるのももっともだなと感じた。

というのも、赤ちゃんは基本的に目が離せない。可愛いから思わず目が釘付けになってしまうという意味もあるのだが、単に生きていくだけでも赤ちゃんは泣くことしかできないため、ミルクをあげたり寝かしつけたりオムツを替えたり適当にじゃれたり、本当に近くで見ていないとどうにもならない。
そしてこれが個人的には一番堪えるのだが、寝る時間がまとまって取れないのである。赤ちゃんは2時間おきくらいにすぐ起きて腹が減ったとかオムツが濡れた(またの名を失禁宣言と呼ぶ)とかで泣き出すので、私たちも当然起きてミルクを作るなりお乳をあげるなりしなければならない。
そして障害のあるお子さんや病気を持つお子さんを育てている親御さんであれば、これ以上の苦労がたくさんあるのだろうと思う。

こうした中で、赤ちゃんが眠ったわずかな細切れの時間を使って、疲労もありかつ睡眠時間もままならぬなかで数十分でも学んでみようという意志を持てるひとはそう多くあるまい。
できても読書やYouTubeなどをみるくらいのものであって、過去問を解いたり集中して暗記をするというのはなかなか難しい。

しかしこの事実に気づいたのは正直、子供が産まれて育児休暇に入ってからであった。奥さんのサポートつきではあるものの、生後間もない赤ちゃんの面倒を見た実感として、私はこれまで育児を明らかにナメていたのだと気づいた。

もちろん、育児は楽ではないとわかっていたしナメているつもりはなかった。私も子供が生まれるまではそう思っていた。
それでも「ナメていた」と言えるくらい、育児を軽く捉えていたのである。事前の想定は明らかにガバガバであったのだ。

まあ、捉え方を変えればここ最近不慣れなことに出会ってこなかったのも事実だ。人生が単調な繰り返しになろうとしていた最中で恵まれた子どもである。先が読めない時間が増えるなか、それを「どうにかする」ことで見えるものがあるのだろう。

考えてみれば誰もが赤ちゃんとして大きくなった経験を持つわけだ。子供が大きくなる過程は、かつて子供だった私たちが一番よくわかっている。でも不思議と、育児の中で学ぶことはかなり多い。
育児をナメずに謙虚に向き合うことで見えてくるものが、実は人生にとってとても有意義な「リスキリング」だったりするのかもしれない。

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