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希望なき社会は罪深い

久々に大学の友人と会った時にまあまあ真面目な話になり、「将来子供ほしいとかあるの?」と聞いたことがあった。

彼は「いま生きているだけでも結構大変だし、生きれば生きるほど大変な世の中になっていっている。これから社会が明るくなる見通しがおよそないなかで子どもを産むことが果たして良いのか、悪くなっていく社会で子供が生きていくことがよいのか、と疑問を持ってしまう」と話していた。

子どもが生まれる前に私は一切そんなことを思ったことはなく、なるほどなあと考えさせられた。
彼の言葉が象徴するように、もはや子供を作ることは当人にとっても子供にとってもリスクでしかないのだと思う。

社会への認識は、自分自身の人生を通じて作られていくものだ。
人生が素晴らしいものであれば、社会もそれほど悪くない、と思うだろうし、人生が思ったようにいかなければ、社会は悪い、と思ってしまう。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」とはいうけれど、実際のところ多くの人間は(私も含めて)愚者なのであって、人生を通じて得た経験から様々な感情を抱き、そしてその感情をそのまま社会に当てはめて考える。

たとえ「社会のせいではない。自分が悪いんだ」という主張が正論であったとしても、少なからず人間が経験から学ぶ以上「社会が悪い」と思って、その感情をもとにして行動をする人間はいる。となれば、「社会が悪い」という主張も「そんなことないぞ」と一刀両断するばかりでは、経験から生まれる感情をもとに行動する人間がいる限りにおいて耳を傾ける必要は一定程度あるのであって、そこから社会問題にどのようにアプローチするのかを考えることも求められるのである。

今まで生きてきた人生がなんとなく「大変になってきている」という実感に支配され、それゆえに「これからも大変になっていく」と思ってしまうほど希望を持てない社会というのは極めて罪深い。
希望がないと自分の人生で頑張ろうという気もなくなるし、子供を持つという決断をも躊躇させてしまう面がある。

さすれば社会に必要なのは未来への希望であり、それはいまを生きる私たちが努力は報われることを実感することでもある。本当に「社会が悪い」と感じるのなら、社会のごくごく一部にすぎぬ私たちにもできることはあろうと思う。

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