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とくべつ

マイノリティ=特別
か、というお話。

例えば、利き手。
左利きの方がマイノリティとされる。
この場合のマイノリティは特別感は薄いように感じる。(私も左利きなので経験的にそう感じる)
「左利きなんだー」
で終わる。
左利きだからといって「特別」な何かがあるわけではない。

例えば、病気。
私は難病患者で特に隠して生活していない。
なので「私病気です」
という機会が多い(こんな直接的な言い方したことないけど)
この場合は利き手より「特別」っぽさがでる。
「なんて病気なの?」
「どんな症状なの?」
「仕事はできるの?」
「本当に治らないの?」
きっと色んな疑問が湧くからであろう。
確かに体は人より弱く出来ており、病気の増悪と共に出来ないこともでてきてしまう。
それはマジョリティとは違うところ。
ただ、マジョリティと同様に私も社会に出て仕事をし生活をしている。言うなれば「普通」の生活を送っている。
まして、病気だからといって何か特別な才能があるわけでもない。なにもない体の弱い人間なのだ。

ここまで話して、「特別」扱いが悪いとは全く思っていない。
マイノリティに対して「この人は私たちとは違う」
という思いも理解できる。きっと私も少なからず持っている感情である。
ただ、マジョリティだと思っている人の中にも「隠れマイノリティ」はいるのでは、と思っている。
例えば
「みんなが泣いた映画を自分だけ泣けなかった」
とか
「ヒット曲の良さが分からない」
とか
「話題のSNSについて行けない」
とか、ちょっとしたマイノリティな部分を人は持っているのだと思う。
だから私はみんなを「特別」と思う事にしている。
私もあなたもどこかみんなと同じところがあって、どこか違った部分もある。
違った部分を見つけて、「その考えもある」と思いながら生きるのも楽しい。

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