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無職になって良かったこと

無職になって何が楽かって、世間での「こうあるべき」を思って肩肘張っていたことを、辞めることができたことだ。

わたしは小さい頃から人の言葉を正確に読み取るのが苦手だった。
自分が言われた通りに行動しても「違う」と言われて、聞かれたことに対して答えたつもりでも「どういうこと?」という顔をされてきた。

お陰でコミニュケーションをとる行為全般に対して自信をしっかりめに無くしてしまい、「合っている」か「合っていない」かで判断するようになった。

自分が喋ったことで相手が笑顔になったり返事が返ってくると、「ああ良かったこれは合ってたんだ」と安心する。

こだわりも強いし目立ちだがり屋な性格だけど、人に嫌われたくない気持ちも人一倍強かったから、完全に他人軸の人生で生きることを選んだ。


だから基本他人と日中ずっと一緒にいて円滑に仕事を進める、しかも週5で。というスタイルは本当に本当に具合が悪かった。

相手はわたしの意見が欲しいだけなのに、「何を言えば解放してもらえるんだろう」「何が相手にとって欲しい言葉なんだろう」と考えてばかりで一向に言葉が出てこないし、出てきてもちぐはぐな事実無根な言葉が出てきて困惑させてしまう。
もう毎日が汗と涙でびしょびしょだった。

労働環境が良くなかったのもあるけど、
途中で会議で自分の意見を聞かれることがないよう、逃げるように正社員から派遣の仕事に変えた。

派遣先では上司のサポート役として事務職をこなしていたわけだが、今度は指示されたことが分からない問題にぶち当たる。

この時分からないなら質問すれば良いのに、コミュ力がえげつない程にない為分かったふりをしてしまう。どんどん追い込まれる。

上司は優しかっただけに申し訳なさが積もっていた。


長々と書いたけれど、無職になることでこういった「社会では必要とされていること」を自分が苦手なことだと思ったらやらなくていいことだ。

もちろん今も家で仕事はしているけど、対面ではなくメールなどのやり取りだと慌てることなく対処できるから幾分かマシだ。

言葉の裏を必死に読んで表に出す感情を決める必要もないし、社内の噂話や陰口にどう返事をすれば良いか頭を回転させる必要もない。


潜在意識に「この働き方・生き方じゃないと世の中に捨てられる」というのがあったけど、今思えばそんな物ない。
自分自身が自分のいいところも悪いところも含めて存在を認められたことで、やっと自分自身にかけていた呪縛から解放された。

他人から嫌われても人は死なないし、自分が生きられる場所は他にもたくさんある。自分は変な所もあるけれど、良い所もいっぱいある。自分が本当に必要だと思うものや人だけで固めて快適に生きるのは我儘じゃない。

そう思えるまで長かった。

愛・お金・地位・名誉・肩書き…社会で大切とされていることはたくさんある。

でもわたしにとっては、自分が自分を認めて、等身大で生きることが、人にとって最大の幸福かもと無職になって気づいた。

自分の人生で一番関わる人間は自分だし。


みんなご自愛しようね♨︎




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