振付の話3
『時形図』の制作過程や、その源となったオフィスマウンテンの作品について書いていきます、の続きです。
前回まではこちら
①「上演の話」https://note.com/0kdhyt/n/nf18ba26a9cad
②「テキストの話」https://note.com/0kdhyt/n/nef3dfa3f1fda
③「テキストの話2」https://note.com/0kdhyt/n/n7724c1cab954
④「振付の話」https://note.com/0kdhyt/n/n60f4d53136fc
⑤「振付の話2」https://note.com/0kdhyt/n/n594fa4574bf6
前回は、「言葉による身体の切り閉じを変化させていくために設計されたテキスト」を使って、言葉と身体の掛け合わせを上演として立ち上げる、という話をしました。
この「掛け合わせ」こそが「振付」なわけですが、それはどんな作業なのだろうか。いろんなやり方があります。それは俳優によっても異なるし、正解があるわけでもありません。個々の身体は、固有の素材であることを思い出してください。また「振付」はつねに、それを見る人がいることによって成り立つものです。作業の内容と、その見え方は一致しない事のほうが多いのです。一致しないことによって、言葉と身体の関係をつくり変え続けることができるのです。固定された振付しかできないのでは、「安定できない状態で私を作動する」ことはできません。
その上で今ぱっと思いつく限りで、オフィスマウンテンが練習の中で使ってきた、復数で共有できる方法としては、以下の様なものがあります。
◇固有の身体から取り出した動きを「振り」として言葉によって共有し、他の人が使う。単に動きを真似し合うことではない。
◇他者がテキストを発話する時に、具体的に身体のどこを意識しているのかを捉える。それをトレースする。
◇テキスト内で指示される身体の部位を、生身の身体の他の部位に貼り付けてみる。ex.「目」を「肘」に、「鼻」を「尻」にするなど。
◇テキスト内に埋め込まれた「方向性」や「重力」を、舞台上で再組織する。「上」「下」はどこか、「近い」はどこまでで「遠い」はどこからか。「前」「後ろ」はどちらを向いているのか。
◇身体のどこに意識を向ければテキスト内の存在に「見えるかもしれない」かを考える。「鶏」に「見える」、「女性」に「見える」。この時、イメージを全体的に表現するのではなく、具体的な身体の部位を決めておく。「翼」はどこか、「子宮」はどこか。
この他にも、稽古場で体を動かし、それを見あうことで生まれてくる出来事=振付のタネが無数にあります。出来事は繰り返せないので、とりあえずそれに名を付け、タグ付けしておきます。出来事にはなるべく変な指向性や傾向性をつけないほうがいい。振付は作ることよりも、それを使い込むことのほうがよっぽど重要だからです。どんなにそのときおもしろかった出来事にも、必ず賞味期限がくるから。上演に稽古場の雰囲気や、そこで起こっていた出来事の空気を真空パックして持ち込むことはできません。「繰り返す」というのは悪夢のように大変なことです。意味が漂白されてなくなるくらいまで繰り返して使用することで、出来事=タネはやっと振付になります。
さて、こうやって稽古場でつくった振付は、ひとつやふたつではなく、同時に復数を発動できるように練習します。しかし、この練習は、身体が作業をうまくこなせる状態になることを否定しているため、反−練習でもありますね笑。だから、ひとつひとつの振付への思い入れは全部捨てます。そして、見る人のフィードバックをもらいながら、どんどん組み替えたり、足したりしていきます。振付の完成はありえません。
練習の場には、やる人を熾烈に見る人の存在が不可欠です。見る人が無茶なフィードバックをすることで、個人の身体の中で振りを研ぎ澄まさない方向に、作業を複雑化していけるからです。振付は、テキストと身体の組み合わせのヴァリエーションを増幅させるためにあります。
ところで、ざっくり「見る」人と言ってますが、なんで演劇は「観る」ものなんだろうか。そこでは発話を「聞いている」し。映画だったら「映像+音」(映像/音、映像vs音でもあるけど)というのもまあ、わかる。しかし、舞台上の身体を見る時に、それは目で見てるんだろうか。演劇の「見る」はこちらも「見られている」という環境の中に埋め込まれている。たぶん「読む/見る」だったり「身体で見る」だったりいろんなヴァージョンがある。
次回は「見る人の話」にしようと思います。
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