テキストの話

『時形図』の制作過程や、その源となったオフィスマウンテンの作品について書いていきます、の続きです。

前回まではこちら

「上演の話」https://note.com/0kdhyt/n/nf18ba26a9cad

上演とテキストの関係について。『NOと言って生きるなら』で使用された「マイライン」なるものについてちょっとだけ触れましたが、改めて前回書いたことを踏まえて、なぜそのような試みが必要だったかといえば、まず、「安定できない状態で私を作動する」ためです。共演者の台詞の発話を聞きながら、それに反応して書いた自分のテキストを想起し、ときにはそれを発話する。これは確実に舞台上の人間たちに事故を起こす。主台詞を発話している人が、マイラインに引っ張られたり、その逆だったり、互いが互いに対して負荷をかけながら、同時にそれがコミュニケーションでもある。コミュニケーションであるということは、すんなりと噛み合ってしまう日もあるし、事故だけが起こり続け、時間が荒涼と化す日もありました。稽古でも本番でも、毎日違うことが起こります。

オフィスマウンテンは、徹底的に言葉と身体の安定、癒着を許さない制作のシステム自体がおもしろいと、私は観たり撮ったり演ったりしてて思います。それを、個々の役者の意識レベルでも、全体で共有されたルールのレベルでもやっています。観ている人にとっては、上演で発せられる言葉から得られる情報量が増え、それらのかけ合わせから思いがけない豊かさを拾えたり、もしくは、粗雑な乱反射だと感じて認知がシャットダウンしたりしたかもしれません。その問題についてはちゃんと考えなくてはいけないかもしれないのですが、ここではあくまで制作的な話をするということで、置いておきます。


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マイライン①

さて、マイラインを書いていた時に私が思っていたのが、山縣太一の文体(太一文体)を真似たり、なぞったりしたものではなく、自分の文体で自分の経験について書く、ということでした。それが手っ取り早かった。なるべく早く書けて、稽古場で試せる素材が多いに越したことはないからです。

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マイライン②

このマイラインをどのように振付に転位するのか、ということについてなのですが、今日は稽古をやって疲れたので明日続きを書こうと思います。いつ自分の作品の話にいけるかな〜

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