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男性優位社会変革の為の男性同士の連帯の難しさについて

多くの女性の方が「どうして男性同士で連帯しないのか?女性の領域を乗っ取るな寄りかかるな」っていうのは仰る通りだとしか言いようがない。
ただ構造的に難しいことも今実感してる。
考えたから書いてみる。

基本的に男性は女性差別と男性優位社会に染まって生きてきて、それこそが最大の障壁になってるんだよね。

演繹的に考えると、一個人が

「男性優位社会家父長制社会は男性にとって非常に都合の良い面はあれど、何よりも女性を人権を簒奪し、そしてまた有害な男らしさ、差別コスト、過度な競争圧などの苦しみの元でもあるから、女性に自身のケア役割押し付けることなく、これ以上女性に不利益を被らせないように気を付けつつ、男性同士でケアや連帯をしてこの社会を変革しよう」

っていう思考上の結論にどうすれば至れるのか、ということ。

もうこれだけ聞いて「そんなん無理やろ」って思った方、割と否定できないのが悔しい。

つまり、男女同権感覚のある男性同士の連帯を実現するには多くの前提条件をクリアする必要がある。

「差別コスト」「有害な男らしさ」「過度な競争圧」は家父長制社会、男性優位社会から発生するもので、それらの実態を正しく理解するためには前提として上記の社会を、女性差別を「「絶対に」」理解しなければならない。

また、女性差別を行わない方向で連帯する必要がある。ケア役割の押し付けという女性差別を行うなら男性優位社会がやってることの再生産に過ぎず、いつまでたっても男性も女性も苦しめる男性優位社会は変わらないからだ。

差別コストは、元々は女性や未成年には最初から権利や財産を与えずに男性に権利財産権力を集中させるけど、その代わりにそれを統括し行使する義務と責任を負うのが元だった。男一人で家族を養える分を一生働き続けなければならなかったっていうのはそれはそれで重圧だったろうね。
今ではこれはそこそこ崩れてるけど、男女の正規非正規の割合、昇進比率、管理職比率、給与比較、ジェンダーギャップ指数など統計を見るとその名残がありありと見える。「いかに男性優位社会が女性に働かせたくないか、その一方で労働搾取をしたいか」が分かる。
今でも「出来れば男が働くべき」っていう価値観は根強いと思う。
専業主夫が一般的になってきたのはまだまだ最近だからね。

旧来の有害な男らしさも、「女性搾取をして女性を貪ることが男として当然、それこそが真の男らしさで女性を獲得できない奴は男じゃない。」と暗に教わってきた。モテないと言って人生に絶望してる男はまさにこれに囚われてるってことだね。

それに、男性がこぞって支配している社会だからそれを維持するために「男は支配的競争的であれ」という圧が常にかかり、それに合わない感情やら行動、例えば「臆病、気弱、涙もろい、足が遅い、成績が悪い、友達が少ない、彼女がいない」などその圧に対する「正しい対処」ができていない者は社会から排斥される。
ここから「排斥は嫌だけど競争させられてしんどい」っていう人がこの男性が支配している社会からの圧に苦しめられてるっていうこと。


女性に対するケア役割の強制も近代から出てきた「夫は外で働いて妻は家で家事や育児や妻のケア」っていう国家の根底的な価値観が元で、今でも「女はケアをする役割をすべきだ」っていう圧が女性にかかり、「男性は女性にケアをしてもらうのが当然だ」と刷り込まれる。
だから有害な男らしさや激しすぎる競争に疲れて「俺も辛い慰めて」って女性に寄ってたかるのはこの観点から順当だし、結婚という契約を交わしてから男が豹変するのも、ケア役割をしてくれる相手と契約ができたから鬱積していた感情をぶつけてもケアしてくれるだろうってどこかで思ってるからだろう。
つまり「男にケアしてもらう」っていう発想は、この社会では男は競合他者だしそもそもケア役割を担っている(担わされている)のが女性だから、中々出てこない。

これらをまとめると、「差別コスト」や「有害な男らしさ」や「過度な競争」と「女性のケア役割の強制」などの一つ一つのシステムは男性優位社会にとって全てが不可欠な再生産システムなんだよね。
それに気付けなきゃいけない。


しかしその一方で殆どの男性は女性を搾取し差別することによって得る利益に深く依存している上、大抵の男はそれに気付いてない。男性優位社会に生まれてこのかた生きてきたのだから当然だ。一つ一つの言動や一挙手一投足からそれはにじみ出てる。(電車で脚広げるのやめて)

つまり多くの男性からすればこの社会は「飴をなめることが当たり前すぎてずっと飴の存在に気付いてなくて、鞭しか存在しない社会」ということになっている。
「女尊男卑だ!女は優遇されてる!」とか口走ったり「俺も辛い!ケアして!」と女性に言えちゃう原因はつまりこういうことだろうね。辛いっちゃ辛いんだろうけど全く社会の実態が見えてないから女性差別の再生産のドツボにはまってるタイプ。
とはいえ社会の実態をいくらか理解しても次に説明するタイプになるのが殆どだと思う。

この状態で男性同士の連帯なんてまともにできるわけがない。例えば「男性は女性にケアしてもらうべきだ運動」みたいな男性優位社会の最悪な再生産運動が起こるだけ。
目にもとまらぬ速さで「女性がケアしてくれないなんて男性差別だ」とヘイトスピーチへ一直線で向かうことになることは目に見えてる。
というか女性専用車両のことで既に「男性差別云々」で運動起こってるねそういえば。


男性優位社会にいる限り男性は優位に立てるし利益を得られる一方で、男性も女性も苦しめることになるということをいくらか理解してる男性は、この両者を天秤で比較して「男性が優位なままで良い」と選択して、自分もちょっとは苦しむことを甘受して自身を優位に立たせて女性差別を維持する選択を心のどこかでしてる男性はかなり多いと思う。
自分だけの為に男性優位社会を利用する現状維持タイプ。
言われたらするけど言われるまで家事や育児を女性にしてもらう男性とか、自分ですればいいのはわかってるけどめんどくさいからわざわざお茶を女性についでもらうっていう、女性差別に寄ってる男性はとても多いと思う。

男性優位社会をいくらか理解している上で心のどこかで男性優位で良いと思ってる男性とはそもそも連帯が不可能。苦しみに蓋をして「現状維持」を選択しているわけだからね。寧ろ男性優位社会を変革する男性が現れたら困る側の人たちだからね。

上記の二タイプから抜け出すことは至難の業だと思うよ。

まず女性差別とかジェンダーとか人権とか有害な男らしさなんて学校では教えないし、テレビでも漫画でもゲームでもなんでも、殆ど知る機会がない。どころかそれら場所やメディアは男性優位社会的価値観の再生産を行う媒体として機能してしまう可能性の方が遥かに高いから、学習機会が本当に少ない。

さらには当然だけど男性は男性というだけでは差別や加害を非常に受けにくい属性だから、仮に学習機会があっても実感をもって理解することが難しいこと。

旧来の男らしさは苦しみに蓋をして自身を抑圧させようと迫るから、自分を振り返ることが苦手な男性は多いだろうから自分の過去の痛みを可視化するのにも時間がかかるし、他の男という存在が自身にとっての競争相手であるという男らしさを捨てる作業も時間がかかる。

旧来の男性らしさに従うなら、苦しいことがあれば吐き出すべきでない、「吐き出す奴は男らしくない女々しい奴だ」ということになるけど、本当はそりゃあ吐き出したいけどジレンマに挟まれて一人で苦しんだ結果耐えられなくなって非行に走っちゃったりね。

このように様々な障害があって「自分や他者を解放するための手段が分からない」男性はめちゃくちゃ多いと思うけど、これは男性優位社会にとって必然的にそうなるようにできているから。
そりゃ手段が簡単に見つかって簡単に連帯されてしまったら男性優位社会を維持できないからね。
この維持というのは誰かがトップダウンで起こしてるというよりかは、既に余りにも多くの人間の間で男性優位社会的価値観がずっと自然と連綿と受け継がれてきたっていうことで、そりゃ連帯するのは難しいよね。


何よりも男性によって女性が加害を受け、男性も男性に傷つけられる男性優位社会という、必然的に多くの痛みが発生するようにできている盛大なマッチポンプ構造を理解できてはじめて、「男性との連帯をするうえで、女性差別的方向に行かずまともな連帯をする準備ができた」と言えると思う。
連帯が女性差別的な方向に行ってしまっては女性差別も男性優位社会も維持されて本末転倒だからね。

そして厄介なことにそこまで理解することと、「じゃあ連帯しよう」っていう主体的で政治的な志向が持つかどうかは別問題だ。

理解してああなるほどねってなってそこで終わる人の方が多いんじゃないかな。連帯って言葉はかっこいいけどその分労力や覚悟がそれなりに必要だし何より、男性にとって有利な社会を生きていて「どうしようもないしもういいわ」って連帯はしたいけど甘い蜜はすっていたいみたいな、モラトリアムみたいな人も多いだろうね。

女性同士の連帯の場合はそれはそれで難しいところはあると思うけど、「この社会が男性優位社会で女性差別に満ちているという実感」が基本的に共通理解として最初からあるだろうから、その分の連帯のしやすさはあるんだと思う。

男性は「人権とはなんぞや」「男性優位社会とはなんぞや」「女性差別とはなんぞや」「男性の生きづらさとはなんぞや」からがスタートラインだからね。


だからこそ自分はとりあえずまずはスタートラインに立ってもらう為にそれらに関する本を読んでほしいんんだよ。

じゃあどう引き込んで本を読んでもらうかって?

難しいところは、男性の生きづらさを重視することはできるだけしたくないんだよね、そうすると女性差別の打破という志向が副産物化しちゃうからね。

男性の生きづらさの解消による「副産物や恩恵」としての女性差別の打破というのはそれは違うと思う。

副産物化、恩恵化してしまうと「男性の生きづらさとは一切関係なし」に女性は女性というだけで尊重され男性と対等であり人権を持った存在だという認識を歪めることになると思うんだよね。(ならない?)


だから生きづらさから解放されたいという欲求はいったん置いておいて、順序としては「女性差別+男性優位社会の打破→男性の生きづらさの解放」を保つ必要があるんじゃないかと思う。

順序が逆になるのは男性優位社会や女性差別が矮小化透明化される危険性があったり、同時並行しても男性の都合が優先されることは目に見えてるからね。

だから政治的連帯以前の問題として男性同士のケアが重要だと思うけど、そもそも旧来の男性らしさはケアも人権も男性自身も軽視するばちばちな弱肉強食な思想で、そもそもケアをする人も男女同権の感覚を持った人もそんなにいないだろうから、困難な道のりだね。
男性をケアできる男性をいかに増やすかも重要になってくるのかな。

大変だけど展望はそこそこ見えてるので頑張っていきたい。