うちの会社は情報を発信しない。でもそんな会社はたくさんある。

 昨日は、前々から感じていた今の会社における不満めいた事を書いてみました。
 理由、、、、、会いたくもない社長に、珍しく、本当に珍しく、1日4回も鉢合わせしたから。

 「経営者は、社長でなくてもよい」という話をしました。
 ですが、一応、頭としての立場にいます。
 株主でもあります(非上場の多くが、経営者やその家族というケースは、特に珍しくもありません)。
 仕事もろくにせず、自らの発言を元にした行動もみせず、調べもしないでの決めつけをするので、居られる方が迷惑な存在でもあります。実際に経営を廻しているのは社員という、わけわかめの会社です。

 休職により、うちは首切りとなりますが、私の場合特例のようです。
 しかし、内容、状況を正しく聞き出さず、思い込みや讒言をそのまま聞き入れる為、復帰すれば、変な目で見られるという有様。
 けっこう、そういう扱いをされる社員が多いのでもあります。

 そんなわけで、妙に引っ掛かる事が、ボーンと出て、書いてみました。
 そして、本日も続きめいた事を書きます。

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 これだけ、ネット社会でSNS等があるにもかかわらず、ホームページの更新すら怠っている企業は、結構あります。
 うちもそうですが、外に向けての情報発信をしません。

 あるグループ企業の事ですが、一族の中から新たに社長に就いた方が、親会社の叩き上げ取締役で、そのグループ子会社の取締役をしていた方から、SNS発信を咎められたという事件がありました。
 「なんだこれは!」。
 ヘルプでその部署に行ったときに、怒号を聞き、後からそのことだなと気づいたのです。
 恐らくは、その取締役が、総務辺りに飛ばしたのでしょう。一族側と取締役とは、一定の距離間保っているので。ほどなくして、その社長は解任となり、取締役が新たな代表に。。。。
 まあ、そういう構図というか、積極性は昔からありましたので、簒奪でもあるかと。
 要は、イニシアティブをとりたかった。常にマウントしていたい意志の表れでもあります。

 その会社としては、これまでホームページすらまともなものがなく、更新もしてませんでした。
 取引は、ほぼわが社。状況は赤字か、それに近かったようです。
 ところが、一族からの社長になってからは、その方が先陣切って、外部に向けた発信で、問い合わせ等々は、かなり増えたそうです。
 ですが、赤字にはかわらなかった。これは発信とは別に、以前から経営そのものの見直しをしなかった事が原因だと思います。

 中小では、こういったネットでの取り組みをしない企業が多いと感じます。
 そこには、理由があります。
・更新できる者がいない
・プライベートでは、SNSを利用しているのに、なぜか会社としての広告ツールとして用いようという考えがない
・決定者である者の世間知識不足
・仕事は、二の次三の次の社員で占められている
・更新するネタがない
・社内政治
・現状維持を目的としている為、広告活動はあえてしない
 こんなところではないかと思うのです。

 中小企業の定義はあります。
 確か、資本金1億以下(か未満)で、社員数も100人だか300人以下とかではなかったかと。製造業の場合は、もっと下の定規になります。
 そして、それよりもウンと下なのが、零細企業という位置づけだったかと思いますが、最近商工会議所が、零細という名称がよろしくないとのことで、変えていこうという動きがあったと記憶してます。
 零細というと、社屋そのものが(漫画チックに)傾いて、資金繰りもいかず、社員は汚い服着て、やる気もないような有様を想像してましたが、資金調達がこれからのスタートアップ企業も零細の部類に入る可能性もあるので、確かに零細という言葉は、差別的な名称にも感じる事かと思います。
 発展途上国という名称と同じですね。
 発展中とは言い難い国もあり、停滞国か貧民国の間違いでなかろうかと感じます。

 広告活動としては、うちから見ても革新的でした。
 期待してましたが、敵は内部にありの例そのものの結果でもありました。
 妙に変な人間関係が交錯してます。

 そして、今いる会社も同じ。
 YESマンだらけの会社であり、権力者からすれば、自分の思い通りにのみ動くプレイヤーだけ欲しいと伺えもしますが、それもまた事業としては正解でもあります。
 会社としては、諸々一切を支払って黒字になっていればいいのです。
 会社は経営陣や株主のものですから。
 しかし、守備範囲に固執していると、その守備範囲外が必要になった時、こういう会社では、思考停止にすでになってもいるので、動けなくなるでしょう。

 ベンチャーなどは別でしょうが、皆さんの会社、これまでいた会社はどうでしょうか?。

情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。