‘わたし’が戻される言葉たち
「実は読んでるよ」「更新しないの?」
など嬉しいお言葉をいただいております。
バタバタしていました🐬
といっても、私はSNSが苦手ですし自由気ままにnoteを
したいので頻繁には更新しませんごめんなさい🌛笑
それでも、読んでくれている人がいたり
待ってくれている人がいると思うと、とっても嬉しい。
最近は
「普段どんなことしてるの?」
「もうサロンのクリエイション撮影はしないらしい」
とか
「〇〇さんの愛人らしいよ」
「結婚で上京したの?」
とかとか笑
有る事無い事よく聞かれたり噂されます👀
人っていうのは何歳になっても他人が気になるみたいで
耳に入る度に面白いなぁと思っています🧏🏻♀️
ちなみにサロンのクリエイション撮影は続けてますヨ🐣
カットコンテストには出ないよって話です✂️
そして、気付いたら4月に🌸
いろんな門出に出逢う季節ですね。
これからまた美容室に行くたびに新しい顔が
見れると思うとワクワクします。
今年度もよろしくお願いします🙇♀️
さて、最初の挨拶はこんなものにして本題へ
普段、撮影で他県に行くことも多く
移動時間が長いです。
「移動大変ですね、長時間疲れますよね💦」
なんていってくださる事もあるけど
私は割と好きな時間です。
音楽を聴いたり、本を読んだり、外の景色を眺めたり。
自分の思考整理の時間に使っています💭
考えて無性に人に伝えたくなったり、
はたまたならなかったり。笑
今日はそんな言葉を巧みに扱える詩人、
茨木のり子のお話を(詩人続きになってしまった)
茨木のり子といえば、
このフレーズは有名なので
聞いたことある人は多いかも。
力強い詩人といえば
私は茨木のり子を1番にあげますね🖊️
そして、言葉について綴ったこちらの詩
詩人だからこそ、
言葉を扱う人だからこそ
感じる言葉に対しての強い感情。
茨木のり子っぽいなって思います。
私も自分の中で大事にしている言葉があって、
その言葉にはものすごい力があって、
迷った時に導いてくれます。
誰かに同じように伝えても、色褪せてしまう言葉たち。
詩の通り‘わたし’の気圧のなかでしか
いきられないものたち。
常に頭の中にあるわけではないけれど、
何かに直面したときや流されそうになったときに
何度もその言葉に触れて勇気づけられたり、
今の自分を問いただすような厳しさを持っています。
それぐらい自分の中で強い言葉を
周りの人たちはどれぐらい持ってるんだろう。
生きている中であとどれぐら出逢えるだろう。
『言葉は時に刃なり得るから扱いには注意を』とか
『言葉にしないと伝わらない』とか
よく聞く話は全て他人に向けた話
自分が
“自分自身のために使う言葉”を
もっと考えてみてもいいのかもしれない。
そして
きっと出逢ったこの言葉たちに
私はこの先一生支えられながら
歩いていくんだろうと思っています。
それとは別に
ちゃんと相手に伝えたい想いっていうのもあって
でも人に何か自分の想いを伝えるのって
思っているよりとっても難しくて
感じた感動をそのまま伝えたいのに
全部を伝えきれないもどかしさがあります😕
その物事に直面した人にしか得られない感動
ってやつかもしれないけれど。
自分の気持ちを
どうしたら上手く伝えれるだろうとか
もしかしたら行動からある程度伝わってて
理解してくれてるんじゃないかって
いう期待(という逃げ)💭
いつ会えなくなるかわからないから伝えなきゃ!
っていうのはちゃんと肝に銘じながら、
それでも今はこの拙い言葉たちと
残りの気持ちはまだ自分の中に大切にしまっておく
っていう選択も素敵で
愛おしいものなのかもしれない🍀
そんなことを感じたのは
『新しい出逢いや考えに触れてみよう期間』を
ここ1ヶ月程作ってみて
老若男女、国籍関係なく
いろんな人と仲良くなって
いろんな相談したりされたりを過ごして
いろんな人の感性や価値観に
触れたからかもしれません。
やっぱり、どれだけSNSですぐに連絡が
取れるようになっても対面の良さには敵わない👯
その人が発した言葉の空気感や感情の乗せ方、
それを肌で感じていたいとつくづく思います。
東京も案外いい街かもしれないナ🌃🗼
本編はここまで、では💃
お待ちかねの余談TIMEです笑
私自身も余談は書いていて楽しいです😌
毎度文章が長すぎるのできっと途中で
辞めちゃう人も多いだろうなとは思っているんですが
意外と余談好きもいるみたいで!(嬉しい)
余談①
実は大阪出身の茨木のり子。
それだけで一気に親近感が沸いちゃいます🐙
そして同世代には
谷川俊太郎や三島由紀夫、向田邦子などがいます。
この世代は今も書籍が重版されるほど
人気で有名な詩人や作家ばかりです。
私も詩集の入りは谷川俊太郎で、
詩人=谷川俊太郎ってレベルでした。
月一で読むほどです📚
意外と内容も硬すぎず面白い詩も多いです。
そして必ず国語の教科書で見た~!って詩が
一つぐらいは出てきます、ぜひ。
話を戻して。
茨木のり子の詩から感じる強さは、
戦争を生き抜き、
何が正解なのか、
何をよりどころしたら良いのか
が不透明な世の中において
「自分の感性を信じる」
という強い信念から来ているのかもしれません。
しっかり自分の芯を持っていて、
ちゃんと“個”として生きることにこだわり、
在り続けた姿はとっても美しくかっこいい。
それでも夫が亡くなってからの詩や
夫への想いを綴っていた恋文の詩集「歳月」
を読むとちゃんと弱さも感じられる🫧
これが成熟した人間なのかと。
私はこういう人を大人って呼ぶ気がします
間違いなく憧れの一人です
そういえば私が憧れるような人たちは
共通して“個”を持ち合わせてて
ちゃんと強くてちゃんと弱い。
弱ると弱くなれるって別物だからまた難しいですよね
波の音の後半部分。
10代の時に読んだ時は特に感じなかったのに、
心を掴まれるように哀しみが容易にわかります。
人の死への悲しみは無くなることはなく、
年々深くなっていくということ
その哀しみの深さも愛情の一種だと思うこと
それなりに喜怒哀楽を経験して
やっとこの詩が身に染みるようになったと思うと、
私も少しぐらいは成熟していってるのかも。
余談②
本文で紹介した「言いたくない言葉」の詩は、
もっと若い時代に読んでおきたかったし、
他人の言葉を単なる独り言や助言としてじゃなく
自分用にとっておきたかったなと思います。
今よりもっと多くの大切な言葉に
出会えたのかもしれない。
若いうちに知っとけ!!
っていう嫌な大人(老害)になりそう。
若い子にウザがられるやつですね。
でも本当にそう思ってしまいます笑
この詩は実は数年前に
とある県の高校入試問題になっていたようです。
上から目線が過ぎますが選定した人センスが良すぎる。
受験生にはこの詩がどう響いたんだろう。
きっと問題に集中しすぎて内容どころじゃないか。。笑
私の時にこんな問題出なくてよかった。
内容を気にしすぎて、
自分の中の言葉を探し始めそうで、
絶対試験どころじゃなくなる気がする、、。笑
最後に
あんまり頻繁にnoteは更新してないけど、
こうやって長文を書いていると
私も“その言葉”や尊敬する人たちに
影響されてるなって文章を読み返して感じます。
自分の中にしっかり入っていると、
自然と似てくるみたいです、面白いことに。
少し恥ずかしいので
(他人に気づかれることはないけど)
読み返しては自分らしい表現に訂正してます笑
私の言葉もいつか誰かの
気圧の中でしか生きられない言葉に変わるのかも。
なんてことを思いながら今日はこのへんで🙋♀️
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