感情、命、巡り巡りて
そろそろ冬が明ける。
素性を伏せるためにぼんやりとしか記すことができないが、長く考えたらもう20年、そして特にこの1年半は、自分の大切な人の命と向き合うことを避けられない人生だった。
そして、確実にその人のそれが近づいてきている。
だから、ひとりでたくさん泣くし、自分の心が不安定になることもあるが、私の中にはその人の血が流れていて、私の心の中には、その人の色んな姿の、私だけのたくさんの思い出がある。
そう考えたら、悲しみの気持ちだけじゃなくて、うまく言語化できないけれど、しずかな気持ちがうまれてきて、ただその人のことを考えながら、ぼーっとすることがある。
そしたら、なんだか心が楽になる。それから、私は大切にされてきたんだなあ、と、あたたかいなにかに包まれているような気持ちになる。
その人が世に言う“ふつう”でなくても、私にとっては私の人生で絶対に欠けてはならない人で、私をこの上なく愛してくれて、かわいがってくれて、大切にしてくれた。
なかなかコミュニケーションがとれなくても、ちゃんと伝わってくるほど、その人は私に力をくれて、私はそれを、そのひとつひとつを大切にして生きてきた。
はたから見たらかわいそうかもしれないし、かわいそうとたくさん言われてきたけど、私は全くかわいそうではない。
私はこの世に生まれてから、その人にずっとずっと大切にされてきた。
その人がどんな姿でも、ずっと大切にされてきた。
こう思えるまでにたくさん時間が必要だったけど、今は自信を持って言える自分がいる。
その人のさいごまで、いや、自分自身のさいごまで、そうありたいと思っている。
寒さを耐えた木々たちの、花のつぼみがふくらみはじめる。
命というもののさまざまな姿を、まさに今、己の肌で感じている。
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