芸術の形
この日の朝は、オラファー・エリアソン「ときに川は橋となる」を見に行った。
雨のおかげで人はとても少なく、急ぐ事もなく焦らされる事もなく悠々と作品を堪能することが出来た。
自らが動いて感じる作品が多く難しい言葉の説明の意味を深く深く考えて解明していく時間が、一歩踏みだした先にその答えはすんなりと身体に浸透した。
自然が生み出す芸術は、そこにある物はずっと同じなのに一瞬も同じ形ではいられなかった。
水と光と影と振動。芸術は止まらない事を知った。
この日の次の目的。「盗めるアート展」
夜も更け、時間を持て余していたので行った事のない高輪ゲートウェイを目指した。
初めて降り立つ駅はこの街の景色よりずっと近代的だった。
私は知らない街の知らない道を荏原を目指し歩き続けた。
真正面には垂直に近い坂が立ちはだかっていた。私は目を背けた。
そして、遠回りをした。
坂道を避ける道を探し続けた。
しかし、坂は現れ続けた。
どの道を通っても坂を登らなければ荏原には辿り着けない事を知る。
遠回りをしすぎたせいか、坂は3つ現れた。荏原に着いた時には、靴ずれと汗で帰りたくなっていた。
開場の30分前にsamegalleyに着いた。
想像よりも多くの人が右にも左にも集まっていた。どっちに並んでいいか分からず流れるままに右側に並んだ。
スタッフの方は度々、近隣の方の迷惑を考え並んでいる人に注意を促していた。恐らく100人以上は並んでいる人々がこの小さなギャラリーに入ることは出来るのだろうかと悶々と考えているうちに、いつのまにか開場していた。
一気に右からも後ろからも人が押し寄せ、その隙間をするすると堂々とアートを盗んだ人が去っていった。
その間、10秒ほどだった。
よく分からないまま始まり、よく分からないまま終わった。
不思議と苛立ちも後悔もなかった。
不本意かもしれないが、これが「盗めるアート展」の芸術の形の様に感じられた。
アート作品を一つも見れなかった事は悲しかったが、こんな時にこんな事をやろうと掲げた方々の勇気は誇り高いものだと思った。
帰り道に思い出し笑いをしてしまうほど、おかしな出来事を目の当たりにして坂道を登った疲労はなくなっていた。
芸術は人を変える。