プッチンプリンの救済がほしい
以下の文は、中村うさぎ先生のエッセイ塾で提出した課題です。
課題内容は「人生で最初の快感」をテーマにしたエッセイ。
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幼稚園の小さい教室で、大きな声で泣いていた私を黙らせたのは「プッチンプリン」。プッチンしてプリン、と上陸する魅惑の黄色、カラメルの艶かしい輝き。お弁当を食べたくないと駄々をこねた私を見かねて、先生が特別に許したのがこの背徳のデザートだった。
このプリンを頬張った瞬間が、人生で最初の快感。それは単に味だけではなく、私の「救済のシンボル」として記憶に刻まれた。
プリンをほおばった日は、入園間もない春。まだ幼稚園に慣れていない私はギャンギャンと泣き、昼ご飯の時間になっても「家に帰りたい、お弁当食べたくない」と繰り返す。当時は確か4歳。もう4歳といえばまわりの男児たちはとっくに親離れしていて、まるで赤ん坊のように泣いている私を冷めた目で見ていた。先生も同じように呆れていた。
同級生たちは早々にご飯を食べ終え、外へ遊びに行く。それでも頑固に泣き続ける私と先生の一対一になる。気まずい。いつまでもお弁当に手をつけない私に、先生は痺れを切らし「分かった、お弁当食べなくていいよ。デザートのプリンを食べていいから」。母親がお弁当に添えてくれたプッチンプリンを私に差し出した。
想定外だった。デザートは、ご飯を頑張って完食した人に与えられるご褒美だが、ただ泣き続けたことで簡単に手に入れてしまった。プリンの許可がおりるとスンと泣き止む。ラベルをはがし、なまめかしく輝く黄色がお目見え。プッチン、してお皿にのせられたプリンは、闘いに勝った優勝トロフィーの輝きで、口に運べば口いっぱいに広がる濃厚な甘みに、快感を覚えた。
さて。なぜ幼稚園で起きた、こんなたわいもないことを「最初の快感」として覚えているのか。およそ25年くらい前のこの出来事を、ここ1か月で脳内でぐるぐる考えてみた。「プッチンプリン」が何かのシンボルになっているはずだった。
私にとっての答えは、プッチンプリンの甘みは「もう頑張らなくていいよ」の「許し」のシンボルであり、救済のシンボルだったということ。
例えばボクシングでいえば、あのタオルが救済のシンボル。試合中のボクサーを棄権させようとする場合、白いタオルを投げ入れる。しかしリング上で闘う私に向かって投げ入れられるのは、プッチンプリン。
27歳の人生を振り返る。私は記者として働いていた数ヶ月前、連日仕事を休むことができない過重労働、精神的ストレスやプレッシャーが重なり、体調を崩して病院に通った。当時は繁忙期で朝から晩まで取材、仕事が積み重なり、誰にも助けを求めることができず、体調を崩して3月末に退職と転職を決めた。
つまり、私自身が誰かに許してほしかった。「もういい、もう働かなくていいよ」と言ってほしかった。つまり、セコンドからリングへ投げられるプッチンプリンが必要だった。
だからその時、無意識のうちに幼稚園の思い出、プリンを差し出された記憶を、思い出の奥底から引っ張り出して、反芻していたのだ。
ただしかし、じぶんの「救済」を他者に求め続ける人生でいいのか、とも思う。いつまでもプッチンプリンを求め続け、待ち続けていいのだろうか。例えば、プッチンプリンしてくれる恋人がいるとして、いつまでも園児のようにプッチンプリンを求め続ける相手に、いつかは嫌気が差すはず。他者からの「救済」を求め続けてしまうのが怖い。
私の脳内では、プッチンプリンを握りしめた老齢の貧しい男が、夜の繁華街に現れる。貧しい彼が求めているのは、お金ではない。通りを歩く優しそうな人たちを、救いを求めるように眺める。そして路上でこれみよがしにラベルをベリッ!と勢いよくはがし、目に涙を浮かべ赤子のように叫ぶ。「ねえ、プッチン、プリンしてーーーーッ」。
そんなふうにならないように、1人でも強く生きられるようになりたい。
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