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認知の歪み


死に至る病という言葉があるけれど、自分のうつについては死に走る病だと思います。そんな考え方の元とかバイアスについてよく考えています。

他者批判や差別問題で根っこにあると思うことが、その人に認知の歪みが一つの理由になっていると思います。

その認知の歪みを認識していない、潜在意識を考えが及んでいないことが人としてどうかと思ってしまう。もちろんすべて意識がいくわけではないと思うし、完全完璧な人などいないと思う。

でも無意識だから悪気がないからという言い訳が成り立つのは受け入れ難い。そんな浅はかな考えで傷付けて良い訳がない。

物事の捉え方なんて主観でしかないし、自分の人生思うがままでいいとは思うけれど、ひとりでは生きていけないから、どこかで折り合いをつけなければならない。自分の言動をよく省みてほしい。

偉そうにつらつらと書いてきたけれど、私自身認知の歪みによって人間関係に悩み苦しんでいる。

認知の歪みといっても捉え方や受けとり方の問題だけでなく、最近気づいたのは#メルカリのモノガタリ「0.8」(吉田修一)を読んでみてネタバレになってしまいますが、私自身はずっと2.0とか向上心とかがあるべきだと強迫的に思い込んでいたように思います。誰かといる幸せは例え0であっても心地よいものであっていいのだと思わされました。フラットだと考えることもできますし。

常に自分を疑う視点も必要ではと思います。そこから多角的に考えられると思うんだけども、これみんながみんなできるわけではないようです。

あまり考えすぎても疲れるだけで答えが出ないことも往々にしてあるので一旦離して忘れるか他人との壁を築くかですね。

それでもしつこくも考え続けて別の考えまで至れたらまだいいですけどほとんどはただ苦しいだけ。幸いにも記憶力がいいほうではあるのでふとしたときに思い出せる。なるべくいつでも多様性を受け容れたいとは思います。

普段から全く関係ない人でも見るとなんであんなことしてるんだろうとか、気にしたいないことが多いですよね。

冒頭の「死に走る病」と思っている希死念慮は脳のエラーだと認識して走らないように、ある意味生き急がないように考え方、認識の仕方を学んで考えなければなりません。それが自分を抑制する唯一の方法なのかもしれません。

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