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無用な小説 2024.1
青山ブックセンター本店、文庫・ビジネス書担当の神園です。
今、青山ブックセンター本店が猛烈に推している本。
店長主導で昨年12月末に青山ブックセンター限定で復刊された、木下古栗さん『ポジティヴシンキングの末裔』(早川書房)。
【当店限定復刊】木下古栗さん『ポジティヴシンキングの末裔』(早川書房) が入荷しました。購入特典として、掌編『馬女』を書き下ろして頂きました。帯文は岸本佐知子さんです。ぜひ。(山下) pic.twitter.com/hzGi0zjxmq
— 青山ブックセンター本店 (@Aoyama_book) December 27, 2023
有難いことに、よく売れていて嬉しいです。(自分は特に関わってないですけど。笑)
購入して読んでみたのですが、ひたすらに無意味な話の連続に驚き困惑し圧倒され、久々に刺激的な読書体験を味わいました。
そこで木下古栗さんについて気になってネットを検索していたら、このインタビュー記事を見つけました。2021年のほぼ日刊イトイ新聞の記事なのですが、これがすごく面白かったです。
以下、引用長めですが…
── 作品のなかで古栗さんが下ネタを多用される理由はなんですか?
古栗
それはさっき言ったことと同じで、書くものにリアリティを与えるような「重み」を出したくないとか、そういうことがまずひとつですね。
たとえ虚構であっても、その創作の材料や燃料として、個人的な問題とか社会的な問題とか、自分や世の中に深く根付いたものを使うと、それは真摯なものになって、ウソなのに一種の「真実性」を帯びてしまう。
そうなると面白くないということもありますけど、それだけじゃなくて、それは創作の純粋性を損なってしまうとも思うんです。
たとえば書き手が実生活において、親と折り合いが悪くて、その葛藤を題材にして、ある小説を書いたとします。その場合、その個人的問題はあくまで
作品よりも前にあったもの、つまり創作の材料や燃料にすぎないわけです。
この場合、親との葛藤が薪(まき)や着火剤だとするなら、小説という文章表現はメラメラと燃える焚き火です。
ところが受け手は往々にして、その作品はこれこれの問題を表している、といった解釈をしたり、その作品に関連付けて、たとえば「毒親」の問題を語ったりもする。薪と着火剤によって現れた焚き火のありようを見ないで、あたかも焚き火のほうが、薪や着火剤のことを表現しているような、まったく逆の話になってしまうんです。「この作品のテーマは」「この作品のメッセージは」といったように、作品が別のことを表現する手段にすり替えられてしまう。
作り手側がこの「逆の話」に乗っかってしまうこともあります。そうなると「マンガでわかる微分方程式」みたいな本と同じで、「小説で共感できる毒親の問題」みたいなことになってしまう。実質的には実用書なわけです。
2. 下品なものを書く理由。| 作家は過剰な下品さを道具として使い、文学の山を登る。|木下古栗|ほぼ日刊イトイ新聞https://www.1101.com/n/s/furukuri/2021-06-24.html
そしてその「無用」がなぜ「無用」なのかというと、ここまで話してきたように、それが「創作」だから。つまり、創作とは無用性を追求するもの——これが自分の基本的な態度ですね。
この部分を読んで、ハッとしました。
確かに、木下古栗さんの小説って面白いのだけど、正直読むのに苦労するところもあれば、何が面白いのか、どういう話だったのか、簡単にまとめることが難しいです。その理由は明白で、木下さん自身が無用性を追求して小説を書いているからです。
昔も今も文学の世界には"実用的"な小説が溢れかえっています。別にそれは悪いことではないですし、自分もそういう小説が好きです。でも、それだけでは気持ち悪さを感じます。木下古栗さんの作品のような"無用"な小説を読むことは、それこそ文化的で贅沢なことだと思います。
だから『ポジティヴシンキングの末裔』がドカ積みされて売られていることに、お店で働くスタッフとして誇りを感じています。
ABCでしか買えないので、気になったら是非!
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