寂しいという感情がどういうものか想像したら幸せだった。
人付き合いが苦手というより面倒臭い。けれど人を笑顔にすることは大好き。誰かを笑顔にすると楽しい。自分の幸福度も上がる。
自分で言うのもなんだけど面白い話もできる。話術も上手いと言われる。起承転結がなくてもクスッと笑える風に持っていける。
誰かといる楽しさも知っている。一人での時間の楽しみ方も知っている。人は嫌いじゃない。人間好き。挨拶もきちんとする。表ヅラは良さげに振る舞ってる。誘われたら仕事がなく時間のある限りは付き合うようにしている。
その反面、プライベートな電話は同じ人が3回かけてくれたら出る。折り返しはしない。ラインはポップアップで確認して必要ならば返事はするが、そうじゃなければ放置。
一、二ヶ月程度なら人と会わなくてもまったく話さなくても平気。気にもしない。実際、三ヶ月ほど誰とも話さず連絡も取らず、完全に引きこもったらめっちゃ楽しかった。友達が心配して捜索願いを出しそうになってたけど……。
自分では気がついていないのかもしれないが思い返しても「寂しい」という感情を抱いたこがない気がする。想像してもどういう気持ちなのかよく分からないのですよ。
「物足りない」という感覚なのだろうか。心細いとか、一人で漠然とした不安を抱いたり、人恋しくなるという経験もない。「みんなと遊んで帰った後、ふと寂しくなってすぐにでも会いたいな」と思う人がいるらしい。
いつも思う。みんなと遊んだあと「一年は会わなくていいな」って。一年に1〜2度のお楽しみの方がいいじゃない。
寂しいという感情に気づくためにも色々想像してみたんだ。いつもの女子会メンバーが私を覗いて飲み会をした。「どうぞどうぞ」と思う。実際、「私はいいから。したいときはどんどんしなよ。」と伝えている。
孤独死も想像してみたことがある。「まぁいいや。死んだら訳が分からなし。人様の迷惑にならないようどうにかしないとな。」くらいだった。「孤独に死んでいくなんて寂しい」なんて感情が乗っかってくれない。
肉体は骨というリン酸カルシウムとタンパク質になるだけで、魂があるとすれば無になると思っているから。死後の世界は死んでみなきゃ分からないじゃない。ただ、社会的な生き物としてどうしたものかとは思っている。
どうやら、セロトニン、ノルアドレナリン、エンドルフィンの3つの物質が「寂しい」という感情をコントロールしているらしいんだけど、この物質が足りてないのかな。病院に行ったほうがいいのかな?
結果的に気づいたことがある。私は恵まれているんだろう。寂しいと感じないほど、誰やかれや構ってくれているだろう。連絡もしない。連絡がきてもスルーするような人なのに、周囲の優しい人たちが気遣ってくれていると思う。
それはとても幸せなことで感謝しなけらばならない。ひとり好きな私が煩わしいと思わないよう生存確認をしてくれる。声をかけ誘ってくれる。嬉しいな。
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