「筑波嶺」にかける思い---もしも、私が恋をするなら…

ここで言う「筑波嶺」とは、百人一首の次の歌のことである。

第13首
筑波嶺の 峰より落つる 男女川(みなのがわ) 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(陽成院)

私の好きな漫画である杉田圭の『超訳百人一首 うた恋い。』(KADOKAWA)では次のように現代語訳されている。

あるかないかの想いでさえも 積もり積もって 今はもう 君のことがとても愛しい

もう少し、技巧についても触れている真面目な解説書である鈴木日出男・山口慎一・依田泰共著の『[朗詠CD付] 原色 小倉百人一首』(文英堂)の歌意も載せておこうと思う。

筑波の峰から激しく流れ落ちてくる男女川がしだいに水量を増やして深い淵となるように、私の恋心も積もり積もって淵のように深くなってしまった。
(「淵」は、流れがよどんで深くなったところ)

『[朗詠CD付] 原色 小倉百人一首』では「時がたつにつれて深淵のように深まる孤独な恋情」と言及されている。
『超訳百人一首 うた恋い。』では、この歌は正妻である綏子内親王のもとを訪れた別れの朝に送った歌とされている。

なぜ、陽成院は正妻に「孤独な恋情」を向けているのだろう。堂々と好きだと言えばいいではないか。

『超訳百人一首 うた恋い。』の漫画が仮に史実だとすれば、陽成院(貞明)は第57代天皇として9歳で即位し、常識を逸した行動が目立つとされ17歳で退位させられ、60年以上に及ぶ長い隠遁生活を送ったとされている。母は藤原高子。

ここから先は私の推測の域を出ないが、藤原高子といえば「ちはやふる 神代もきかず竜田川…」で有名な在原業平との駆け落ち騒動があったともされる女性である。また、藤原氏の摂政・関白の地位をさらに強化した藤原良房の孫娘で藤原基経の異母妹である。
灰原薬の漫画『応天の門』(新潮社)では、高子は良房・基経との折り合いが悪かったとされている。また、良房・基経ともに権力闘争のためなら何でも利用しかねない人物として描かれている。
『超訳百人一首 うた恋い。』も『応天の門』も漫画なので、脚色はあるだろう。必ずしも史実に忠実とは限らない。
しかし、山川の教科書に掲載されている天皇家の家系図と在位期間を見ても、権力闘争があったであろうことは推測できる。高子はその騒動の期間に女御として後宮に入ったし、陽成院(貞明)もその期間に誕生した。それだけは史実である。
権力闘争のさなか、母子が自らの思いのままに行動することは難しかっただろう。特に陽成院(貞明)は誹謗中傷の対象となっただろう。彼が退位した方が、周囲の貴族は得ができるのだ。

綏子内親王は第58代光孝天皇の皇女で、陽成院のいとこおばである。陽成院(貞明)が退位してから陽成院に嫁いだ。

『超訳百人一首 うた恋い。』では、自分の意志で嫁いだわけでもなく、幼少期には陽成院(貞明)に散々いじめられたり、からかわれたりといった描写がある。
夫婦生活も、(主に、人間不信な陽成院のいじけた言動によって)円満ではなかったらしい。それでも、綏子内親王は辛抱強く温かい夫婦生活を続け、陽成院に「私はあなたを裏切らない」と宣言して、心がほぐれた陽成院が帰りの牛車から送った歌が「筑波嶺」の歌なのだという。

まあ、脚色されたエピソードなのだと思うが、『超訳百人一首 うた恋い。』の脚色の仕方が好きで、私はこの歌が大好きになった。

また、この歌が大好きなのは、私が陽成院に自分を重ねているのもある。

私は、過去の恋愛に恵まれなかったので、今では(男女問わず)相手から性的な目線で見られる・身体的接触をされることに強い抵抗感と恐怖感がある。恋愛恐怖症なのである。

そして、恐怖症を乗り越えてまで恋愛したい相手がいない。
一緒に食事くらいはできるが、私ができる「恋人らしいこと」は今はそれくらいだ。その先はいつ実現できるかもわからない。
だったら、一生通じて友達、あるいは親友でいいではないか。

もし、私が恋をするなら。
お互いに長い時を重ねて、想いが積もり積もって、そして心身ともに愛しくてたまらないような恋がしたい。

ね、「筑波嶺」のようではありませんか?

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