15年越しの乾杯を願って。

桜舞う季節にいつも思い出すことがあるとすれば、先生のことである。25歳になった今でも忘れられない先生というのは、僕の中にもあって、冬の積雪をも暖めてくれるような思い出が蒸し返す日が、毎年来るものである。それくらい、熱い熱い先生であった。ふと春の空を眺めて、東京の狭い窓から顔を出すと、その先生の明るい笑顔が見えてくるのは、気のせいだろうか。

僕としてはもう随分前の話である。学校生活がかなり憂鬱になってきて、もう居なくなりたいと思っていた小学校3年生のときに、あの先生が僕の担任になってくれた。今でも忘れない先生である。

先生は、とにかく正義感が強かった。曲がったことや理不尽なことが大嫌いで、小学生である僕たちのことも大人として扱ってくれていた。社会が得意で、政治のことや経済のことを明るく話していたと思ったら、くだらない家族のことまで話してくれる気さくな先生だった。これを書きながら、なんとも懐かしい気分になっている。

いじめは絶対に許さない人だった。一度いじめが発覚すると、鬼の形相でいじめをしている子を問いただし、全力で謝らせるまで帰らせないぐらいの勢いで怒った。クラス会の時にバインダーを叩きつけてクラス全員で叱られたことは、ちょっとしたトラウマレベルで覚えている。今思えばあの価値観が、僕の正義を作っていたのかもしれないと思うと、感謝しかない。それでも、普段は優しく朗らかで、物腰柔らかい先生であったことは、間違いない。

僕の足のことを常に考えてくれていたことも嬉しかった。もともと生まれつき障害を持っている僕は、なかなか学校生活でも不便なことが多かったが、自分にできることは自分でさせてくれて、助けてほしいときは常に手を貸してくれた。さらには、いじめで悩んでいた僕に対しても、ちゃんといじめっ子を成敗してくれて、とっても学校生活が楽しくなったのを今でも覚えている。

あの先生は今何処へ行ったのだろうか。久しぶりにFacebookで連絡をしてみようかな。先生というものは、紛れもない大人であるが、なんだか子供みたい、と今思うと感じる。先生の家に一回行ったことがあって、そこでモンハンを一緒にしたのを今でも覚えている。お菓子を食べながら、今思えば少し狭い部屋で、先生の暖かさを友達と二人占めしながら感じていたことを今でも覚えている。

もし、もう一度会えたなら、一緒にお酒を飲みたい。小学校を卒業してからの僕の人生を、あの先生に聞いてほしい。あんな事があってさ、こんな事があってさ、って、隅々まで伝えたい。意外と波乱万丈な人生でしたよ、結構、なんて言ってひと笑い取りたいなんて言うのは僕のわがままだろうか。

そんな思い出話をすることが、人生の楽しみであると思う。忘れられないということは、また会いたいということである。笑顔で手を使って色々と説明して、そうなんだ〜そんな事があったんだ〜、と言い合える仲間がいることこそ、人生の喜びなのではないかと思っている。

#忘れられない先生

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