「自分を信じる」ということの意味
「自分を信じろ!」って言われたって何のことやら。
どうしたらいいのよ ってずっと思っていた。
去年の春、kenohiというお店を一人ではじめた。
自分以外ほんとうに誰もいなくて
楽しいことも辛いことも独り占め。
それを自分で望んでやっていく中で
少しだけ、「自分を信じる」ということを咀嚼できた気がした。
やることを自分で決めて、
決めた自分を裏切らないためにやる。
「裏切る」ということが、
「信じる」ことの裏返しで、
だから裏切らない積み重ねが自分の、自分への信頼を作っていく気がする。
たとえ小さくても(毎日、本を見開き1ページだけ読むとか)
自分で決め、それをやる。
その積み重ねは確実に自分を強くしている気がする。
「自信がつく」ってそういうことなのかもしれない。
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同時に、うまくいかなかったときの立ち直りも早くなったと思う。
自分で決めたことをやる。
言うのは簡単だけども、
体調が悪くて「もういいや」
忙しくて「今日は無理!」
あります。
そんな「やっちまった」時に立ち直るために
自分を許す
だって、
「やっぱりダメ人間だ自分は...」
「最悪...やるって決めたのに...」
落ち込むのは簡単ですし、落ち込めば落ち込むほど
なんだか「それだけ強い意志でやろうとしていた感」も出ます。
やろうとしていた感を積み重ねても、何にもならない。
「しゃーない!疲れてたぶっちゃけ!」
と開き直ったり、
「そもそも時間や体力に余裕がないのがよくない。スケジュールを見直そう」
と根本の原因や建設的に考えたり
「いや、意思の力なんて知れてるし。早起きするために無理やり予定いれよう」
と仕組みで解決したり。
なんで自分はこんなことを...
という問いも重要ですが、もはやこれは後悔や懺悔に近い。
原因探しは目的化してはいけない。あくまで次に進むためのもの。
そこで立ち止まっては、気は沈むばかり。
やっちまったものは、しかたない。で、次どうしよっか?
と、次にどうするかを考えるのがとても大事だと思います。
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〇おわりに
大学生のころの自分は(いや、kenohiを始めるまでかも)
色々挑戦しようとする割に、すぐに落ち込む、「自己肯定感」(この言葉がそもそもあまり好きじゃないけど...)の低い学生でした。
自分を卑下したり、自嘲するのが癖でした。
そんな自分を慰めたり、励ましたり、共感したりする人が多いなか、
「いやもうそういうのええから、次どうすんのか考えたら?」
と言ってくれた2つ上の先輩を思い出しました。
言われたときは「ひどいこというなあ...」と思って
シュンと落ち込んでいたと記憶しています。
6年も前に言われたことですが、今でも心に残っています。
あっきーさん、この記事を読むことはないと思いますが、、、
ありがとうございました。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
では、また。
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