休暇中の頭の中。
「明日こそやるんだ」と思いながら朝方に寝て、夕方に起きて絶望する。
「なんだか今日は調子が悪い、頭が働かない」と言い訳をしながら朝までゲームをする。
朝方、寝る前に我に返って思う。
今日も何もしなかった。ゴミ捨ても忘れていた、食事をすることも忘れていた。ああ、そろそろ珈琲豆の発注しないと再開予定日に間に合わない。
何もかも進められていない。なんてダメな人間なんだろう。
このまま消えてなくなりたい と思いながら寝て、また夕方に起きる。
そうして鬱屈とした気分で過ごした日々。
出口のないトンネルの中で、戻り方すらも分からなくなって途方に暮れていた。
===
これからについてを書くまでに、過ごした日々や考えたこと。
===
9/9からお休みに入って、1か月が経った。
9/20くらいまでは、それなりにうまく過ごせていた気がする。
電話をしたり、打合せをしたり、程々に予定があった。
予定があると外に出る。外ではキチンとする。背筋が伸びる。
考えることを考えたり、買うべきモノを買ったり。
頭の中の風呂敷も、広げるだけ広げた。
頭の中
【理想】
早寝早起きして、ちゃんと三食食べていたら、もう自分は幸せなんだとわかった。野心がない。頭の中は、暮らしのことばかり。
新しいことをできるようになりたいというよりは、今疎かになっていることをきちんとしたいのだと思う。
また、日々ランダムに何か飛び込んで来る機会があって、それを受け止める余裕を常に持っていたいらしい。
そうして、特定少数の人と濃く関わっていきたい。
【現状】
生活にしても仕事にしても、嫌なことや辞めたいことの方が多い。
怠惰な自分のことが嫌いらしい。強迫観念のようなものがある。
【自分とは】
これから何をしたいか、できるのかのヒントになるかと思い、自分に対して思うことを書いてみる。
【kenohiについて】
穏やかな一人の時間と、和気あいあいとした交流の時間と。
相反するような二つの時間が絶妙なバランスで成り立っているお店だと思う。kenohiは「日常」使いに適したお店だけれど、実はkenohiで過ごす「日常」は特別なんじゃないかと思う。休み中、家でゆっくり本を読んだり、考え事をしたり、仕事をしたりできなくて気づく。
【日常とは】
日常、あるいは逆の非日常ってなんなのか。
居心地の良さってどこからくるのか。
良い時間ってどんな時に思うのか。
居心地よく過ごし「良い時間だったな」と帰るときに思ってもらいたいから、改めて考えてみる。「予想外≒日常と非日常の間」を個人の活動日に作ってみたいと気づく。
自分の今の悩みも書き出してみる。自分が困っていることを解決できるお店、自分がもしお客さんだったら嬉しいお店を作りたいから。
また、もう自分の中に「コンプレックスを乗り越えたい」という想いがないことに気づく。自分のやりたいことをやる。
トンネルの中、立ち竦む
こうして頭から吐き出して認識した「嫌なこと」を、見事なまでに全部やるような生活に休み中に陥る。どうしてそうなったんだろうか。
9/20ごろ、再オープンを意識しはじめた。
途端、やることが山積みで、間に合わなさそうなことに気づく。
広げた風呂敷を畳むことができない気がしてしまう。
立てるだけ立てた問いに、答えることができないまま腐っていく。
課題や目標を把握したものの、ではどうするのかが決められぬまま。
手を付けることが億劫になってくる。
そうして、スマホやゲームに逃げる。
やらなきゃやらなきゃ、と思いながら怠惰な日々を過ごす。
3年前に決別した(と思っていた)怠惰な自分と対面する。
大学生の頃から、こうして鬱屈して沈み込む日々を過ごすことは定期的にあった。社会人になってからも2回あった。
どう対処していいかわからなくなった時に、誰かに頼ったり、開き直ったり、そうやって「よしなに」躱すことがうまくできない。
せっかく長期休みを取ったんだから、それなりの変化を作らないと。
有意義な休みにしないといけないと思いこんでいる。
唐突な出口
こんな怠惰でごめんなさい、と妻にこぼす。
「何が?」と言われる。
妻は私が休みのタイミングちょうど忙しい時期で、だから私がご飯を作ったり家事をしたり、事務仕事を手伝ったりするべきだと思っていたから、ごめんなさい。
「だってお休みだよ?何もしなくていいし、好きに過ごすのがお休みだよ」とキョトンとした顔で言われる。
ここで、ようやく開き直ることができた。
自分の「べき」が、勝手に自分の首を絞めているだけの話。
自分のペースで、自分が休みたいだけ休み、考えたいだけ考えればよい。
ゲームをしたいなら気が済むまですればよいのだ。
この話のあと、数日すべてを忘れて休むことを許したのち、ようやく動き出せるようになった。
溜めていた家事を終わらせ、着々と開店準備をしている。
自分との付き合い方
自分はこうじゃないといけない、という刷り込みがあると気づく。
自分で決めたルーティンをこなし続けること、連絡はすぐに返すこと。自分や人との約束を守ること。
そんな当たり前のことだけは当たり前にしていないと、スペシャリティのない自分には価値がなく、信頼されず、必要とされないのだと。
いつも周りの人に言う。
「自分を親友だと思って、自分に声を掛けるといいよ」
人は何故か、自分に対してだけ特別に厳しかったり甘かったりするからだ。
トンネルの中では全く、すっかり忘れていた。
「こんな長い間、怠惰な日々を過ごすなんてもう終わりだ」と。
1か月間ずっとそうしていた気がしたけれど、今になって数えてみると10日間ほどのことだった。たった10日。
なんとなく、海外に思いを馳せる。国によってはバカンス(長期休暇)がある。急に、10日間なんて大したことないように思えてくる。
多分、これからも数年ごとにこうやって落ち込むことはあるんだろうなと思う。それを受け入れようと思う。
落ち込まないように、日々を忙しくするのも悪くなかった。
でも、落ち込んだっていいじゃないか。ちゃんと毎回、戻ってこれている。冬眠から覚めるように。
これからは、もう少しだけ自分のことを信頼してみる。
kenohiという小さな喫茶食堂を運営する中で思うことや考えていることを書きます。もし、万が一、応援したいと思ってもらえましたら、サポートいただけると嬉しいです。