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ザ・ソングライターズ/佐野元春(スイッチ・パブリッシング)の読後メモ

立教大学文学部100周年記念事業の公開講座(2009~2012)をまとめた書籍。講座のダイジェストはNHKによって番組化され、ギャラクシー賞を受賞。日本を代表する24人のソングライターへのインタビュー。

①    小田和正 佐野元春との交流・信頼関係がある。佐野元春「SOMEDAY」への評価、代表曲は「生まれ来る子供たちのために」「言葉にできない」。
②    松本隆 はっぴいえんど(細野晴臣・大瀧詠一)のメンバー。日本語ロックの歌詞の挑戦VS内田裕也。「風をあつめて」「さよならアメリカさよならニッポン」「ルビーの指輪」のヒットで職業作詞家へ。松田聖子プロジェクト。好きな映画は小津安二郎「麦秋」。
③    さだまさし ポール・サイモンの作詞講座に参加。松山千春は直感派、さだは理論派。「檸檬」「あと1マイル」「まほろば」「精霊流し」。
④    スガシカオ 村上春樹・大江健三郎・鮎川信夫の影響。「スイートベイビー」「リンゴ・ジュース」。好きな映画はゴッドファーザー(佐野も)。
⑤    矢野顕子 同性へのシンパシー。アメリカの文化(手紙・ほめる事がコミュニケーションの基盤)に馴染む。「nobuko」「I AM A DOG」。
好きな映画は「たそがれ清兵衛」。
⑥    Kj(古谷建志)ドラゴンアッシュのボーカル。古谷一行の息子、MEGUMIの夫(MEGUMIの本名は仁とかいて「めぐみ」と読ませる)。
⑦    桜井和寿 スガシカオとの交流。「to YOU」「ロードムービー」「しるし」。好きな映画「きみに読む物語」。
⑧    後藤正文(アジアンカンフージェネレーション)「マジックディスク」。作詞ノートは縦書き。女性作家が好き。
⑨    鈴木慶一(ムーンライダーズ)はっぴいえんど同世代。「火の玉ボーイ」のスカンピン。北野映画「座頭市」「アウトレイジ」の音楽担当。
⑩    岸田繁(くるり)京都出身。「さよならアメリカ」。
⑪    RHYMESTER(ライムスター)ヒップホップ、ラップ。ロックより圧倒的に多い情報量。「ラストヴァース」。嫌いな言葉は「エッチ」。星野源が死ぬ前に残す言葉はくだらないと言い訳しつつ「エッチしようぜ」だから、この2人は相容れない?
⑫    山口一郎(サカナクション) 北海道小樽出身。父の影響で文学作品をよく読んでいた。石川啄木・寺山修司・種田山頭火。「目が明く藍色」「enough」。
⑬    山口隆(サンボマスター)福島出身。「だんだん」。ソングライターは言葉を音楽化できるのが強み。
⑭    KREVA  東京出身、慶応大生。ラップ。「あかさたなはまやらわをん」。
⑮    曽我部恵一 立教大出身。なかにし礼・佐野元春の後輩。
⑯    トータス松本 「ガッツだぜ」の語源は「That,s the Way」。クレージーキャッツの明るさの影響。「ええねん」秘話(語源はAmenエイメン、つまり黒人霊歌。
⑰    キリンジ(堀込高樹・堀込泰行)「ハピネス」。
⑱    七尾旅人 高知出身。「戦闘機」「911FANTASIA」は3枚組。ポップカルチャーシステムの変遷。
⑲    中村一義 10歳で両親が離婚。日常主義(本当の心の中の風景を歌にすること)。内省的ロック(自分の外の敵と戦うのではなく、内面の敵とどう折り合いをうけていくか、というテーマの歌)。ジョンレノンにシンパシー。好きな映画は伊丹十三「タンポポ」。
⑳    大木伸夫(ACIDMAN/アシッドマン/意味は気難しい人のボーカル)、埼玉県川越出身。是枝裕和・村上春樹が好き。理系・薬剤師。化学・宗教・自然・宇宙がモチーフ。脱原発派。東京スカパラダイスオーケストラに飲みに連れていってもらってからバンドの雰囲気が良くなっていった。総合格闘家/須藤元気の音楽のプロデュース。「廻る、廻る、その核へ」「彩-SAI-(前編・後編)」。
21    星野源 「くだらないの中に」中村一義の歌「金字塔」「太陽」をよく聴く。サビがあって、大サビがあるのは日本独特(フックが大袈裟、盛り上がれる音楽、ストーリー性がある曲)。「ストーブ」「老夫婦」「営業」「喧嘩」「ばらばら」。表現ってウンコ(ちゃんと食べて、ちゃんと消化して、出す)。消化はこの場合、自分の中で定着させる意味。インプットとアウトプットの間が消化(理解度)。日本のミュージカル映画の傑作「君も出世ができる」が一押し。
22    山崎まさよし 幼いころに両親が離婚。「セロリ」「パンを焼く」「苦悩のマタニティ」「ピアノ」「長男」「花火」。
23    なかにし礼 歌謡曲(ポピュラーソング)の変革期のエピソードが一番面白かった。それまでは(60年代)、西条八十・古賀政男・服部良一といったレコード会社の専属作家が作品を書き、歌手が歌う時代に、海外からボブ・ディラン・ビートルズが入ってきて、日本の歌謡界が時代に合わなくなってきた。そこで、フリーの作家が洋楽の持つメッセージと同じようなヒット曲をつくるようになってきた。日本歌謡というのは七五調でないと人の心に届かないという偏見・定説が変わる潮時に【和製ポップス】が誕生した。歌詞に私とあなた、が登場し始めた。同時代に吉田拓郎・小室等・井上陽水が【日本回帰】を掲げて登場(青年革命党のような存在)。日本の風景・日本の感性・日本情緒を取り戻そうとしていた。
立教大卒(元春の先輩)で学生時代からシャンソンの訳詩(1,000曲)で生計を立て、後にプロの作詩家になる。そうした取組みを通じて日本特有の七五調の呪縛から解放された。立教大も3回入学(2回は学費が続かず途中で辞め、3回目は22歳の時)している。
シャンソンの作詞家/レオ・フェレに詩人の魂を感じた(なかにし礼だけ歌詞ではなく歌詩という言葉を使っている)。学生時代に結婚し、新婚旅行の下田のホテルで偶然、撮影していた石原裕次郎の面識を得る(退屈しのぎの新婚カップルコンテストでグランプリ)。裕次郎に「シャンソンンの訳詩で食っている」と言うと「日本の歌を書いてみな」と言われたのが転機となる。そこから苦労して作詞・作曲したテープを石原プロに持参、タレントが歌うことになり、歌をオリジナルでつくる喜ぶを味わう(人生が動き出す)。それが「涙と雨にぬれて」。
満州生まれが異邦人意識・デラシネ・流浪の魂を育む。その意識を歌にしたのが「ハルピン1945」。「石狩挽歌」秘話/戦後身を寄せたのが小樽の父の実家。実家は漁業をしていて、父は既に亡くなっていて、特攻帰りの兄も同居。ニシン漁で一儲けしようとした兄の失敗で小樽を追われる羽目に。ただ、その時の経験とニシンが沢山獲れた時の歓喜、海のうねり、ソーラン節といった絢爛たる浜辺の情景が私的な物語として歌詞に反映した。オンボロロ、という言葉がインスピレーションとして浮かんでヒットにつながる。
歌の影響力(レコードを買いに行くアクション)、ヒット曲(有精卵)。「時には娼婦のように」秘話/吉田拓郎のレーベル、フォーライフレコードからの依頼でアルバム「マッチ箱の火事」を制作、その1曲目が有線で話題になりシングル化。
言葉を言葉として純粋に昇華させたものが「詩」、音楽で音だけで完成したものを「純粋音楽」、その最たるものがクラッシック音楽。その詩と音楽が互いに歩み寄るときに名曲が生まれる(スパイラルアップ/好循環/昇華)。
作詩法はアクションペインティングに近い。ブルックナーを聴く。4000曲の作詞のうち、ヒット曲は300(約8%)、ミリオンセラーは30曲(1%未満)。演歌もやったのは「演歌は書けない」と思われるのが癪だから(「君の心は妻だから」「港町ブルース」「北酒場」「風の盆恋歌」)。ヒット曲をつくる、という強烈な意識と矜持が他のライターとは明らかに違う。戦中派という世代から来るものなのか、経験から来るものなのか。小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞。作詞家になる以前からの夢が小説家(いつまでも表現者でいたい)。
24    大瀧詠一 はっぴいえんど3枚目のアルバム「HAPPY END」。30周年アルバム「A LONG VACATION」80年代の雰囲気。「日本ポップス伝」というラジオ番組の企画(船村徹・遠藤実・星野哲郎にインタビュー)、小林旭「熱き心に」の作詞作曲。※最近お亡くなりになった。
25    佐野元春 現代の詩としての歌詞を省察したワークショップ。ポップソングは時代の表現であり、時代を超えたポエトリーである。ソングライティングは現代的なパフォーミングアート。

定型質問/死ぬ前に愛する人に残す伝言は?
「ありがとう」がほとんど。たまに「ごめん」がある。これって相手に対して同義語かも? 
好きな映画は個性が出る。
日常生活でうんざりすることは?も個性が出て面白い。

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