言葉について。伝えること、わかりあうこと。
言葉を発するとき、そのひとつ手前には、
まだそれが言葉になっていない瞬間がある。
形をとどめない気体が体の中に漂っているような、そんな感覚。
それを外へ出すために、言葉へと昇華させていく過程で
悲しいかな、その幾らかを取りこぼしてしまっているような気がする。
自分の内側に漂っていた、自分にとっては確かなものは、
一度言葉にすると、たちまち個体(意味)になり、個体になれなかった部分は、
だんだん薄らいでいく…
内側に生じたものを伝えるために、言葉を使っているはずなのに、
伝えようとすることが、逆に伝わらないことをしている、とも言えて、
なんだかもどかしい…
私たちがコミュニケーションをする上で、言葉は大きな役割を担っているけれど、実際言葉として伝えられることは、ほんのわずかなことなのだ。
“言葉の型” では掬いきれず溢れ出てしまうものが必ずある。
それに、同じ言葉でも、その捉え方や感じ方は人によって全く同じではないしね。
言葉でのコミュニケーションって、思っている以上に曖昧なものなのかもしれない。
そんな曖昧なコミュニケーションで、相手のことを分かった気になったり、
自分のことを分かってもらえてる気になったりするのは大きな勘違いなんだろう。
でもだからといって諦めてはいけない。
完全に分かり合うことはできないけれど、
それでも伝えようとすることは尊いことだし、
それでも分かりたいと思えることは
幸せなことでもある。
その「好き」は、好きという言葉を使わなければ、どう伝えられるか。
その「悲しい」は悲しいという言葉を使わなければ、どう表現できるのか。
自分の内側に浮かぶ大切な感覚を表すのにぴったりな何かを見つけよう。
それは言葉じゃなくたっていい。伝える方法をたくさん探してみたい。
そして、相手の言葉の一歩前にあった感覚にも、少しでも触れられる人でありたい。
言葉だから伝えられるもの、
言葉じゃないからこそ伝わるもの、
どちらも大切に、
伝え、受けとっていきたい。
miwa
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