雨の日には冷えたスプーンを

ー「気になる」なんて、洋服選びと一緒ですね ー 

※お立ち寄り時間…5分

 「あなたは、ずっと私の憧れです」

 小学校の卒業式の前日、人生で初めてラブレターを貰った。女の子からだった。Mちゃんという子で、委員会が一緒だった。 

 初めてラブレターを受け取った時は、どうしたらいいのか分からなかった。
だから、彼女の気持ちに「YES」も「NO」も言わずに、ただ沈黙を貫いた。

 その後、中学、高校、大学と階段を登るにつれて、自分が女性から一種の「好意」ないし「憧れ」の類を持たれることを自覚した。
 距離感が近すぎる女の子がいれば、怖いなと思う時期もあった。混乱との戦いだった。

  そんな時、大学の授業で「ジェンダー論」を受けることになる。
シラバスなど読みもせず、ただ、主担任が「メスゴリラ」と呼ばれており、どんな人か興味を持ったからである。今、振り返ってみても至極不純な動機だ。

 授業は、オムニバス形式で、1回目の授業は、「メスゴリラ」 を唯一「調教」してると噂される副担任が教壇に立っていた。

 黒板に大きく書かれた文字、それが「LGBT」だった。

『もし、カミングアウトされたらなんて答える?』

「知らない」とは、もはや罪なのかも知れない。

ぽつり、ぽつりと学生から答えが上がったが、彼は全てに首を横に振った。

かの有名なマザーテレサが
「愛の反対は憎しみではなく、無関心」
と言ったように、無関心であることがどれだけ彼女を傷つけたか。

「怖い」と思っていたことを理解すること。

小学生のあの頃、彼女が一体どんな想いで、ラブレターを綴ったのか。

計り知れない。

ただ、沈黙を貫いた私は、きっと彼女の柔らかくて真っさらな幼心を容赦なく傷つけてしまった。 

「LGBT」は、身近にロールモデルが少ない分、 「自分が何者なのか」分かるようになるまで時間がかかる。

身近な大人が手を差し伸べられればいいのかもしれないが、まだまだ抵抗はある。

嫌われるんじゃないか。
いじめられるんじゃないか。
受け入れてもらえるのか。

負の感情がグルグル駆け巡る。
不安と板挟みの中で思い悩む人も多い。
「共有」できにくい分、辛い時間が必然と多くなってしまう。


「想うこと」


相手が同性でも、異性でも、はたまたいなくても、それは、別に「特別」なんかじゃない。  
 
「特別」ではないけれど、「身近」でもない。
だからこそ最初の一歩は、怖い。

相手に「想い」を伝えることは、丸裸で自分を相手にさらけ出すことだ。

だからこそ決意がいる。
だからこそ時間がかかる。
だからこそ真剣に向き合わなきゃいけない。

「想うこと」

自分の秘密を打ち明けられるようになるまで
どのくらい傷ついたのか
ちゃんと抱きしめてもらえたのか

傷を癒すためには、誰かを愛することが
愛するためには、傷の深さを知ることが

誰かを切実に想うことは、案外難しい。

それから、私は卒論の研究内容を「LGBT」にシフトした。勉強したからと言って、Mちゃんの傷が癒えることはない。過去は変えられない。

それでも、無駄かも知れないけれど、過去と向き合う覚悟をした。

それから、図書館の関連図書を片っ端から読み漁った。海外の文献も何冊か読んだ。
当時は、まだ研究が進んでいなくて、卒論を完成させるのに苦労したけれど、真剣に取り組んでよかったと思える。

大学卒業の時、鮮明に覚えていることがある。
カミングアウトを受けた友人のAの言葉だ。

「君にカミングアウトして良かった。
  おかげで、本当に楽しい大学生活だった」

あの時、真剣に取り組んでいなかったら。
あの時、ずっと傍観者のままでいたら。

こんな風に感謝されることはなかったと思う。
大学を卒業した今もAと友人のままでいられなかったと思う。

社会人になった今も、向き合った経験は大きな糧になっている。

「怖い」と思っていたことを理解すること。

そうやって考え抜いた言葉は、現実になる力がある。決意や思いが体にしっかり定着する。
それに向かって行動するようになる。

結果として、Mちゃんの「想い」に応えることが出来なかった。
けれども、Mちゃんの「想い」があったから、私はAのカミングアウトを受け入れることができた。
Mちゃんの「想い」のおかげで、私とAは最高の大学生活を満喫することができた。 

もしMちゃんに会えたら、
「打ち明けてくれて、本当にありがとう。」

と伝えたい。

最後に、小さい夢ではあるけれど、いつか、Aと
「うちの姑がさあ〜」
なんて普通に愚痴を言い合える日が来ればいい。

そんな日は、きっと明日より近いはずだ。


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