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雨の日には冷えたスプーンを

描きかけの万年筆

※お立ち寄り時間…5分

「わぁは、人とは違う道に行ってほしいと思うけどな。」

 どんな未来を選択するか悩んでいた頃、親友が紡いでくれた言葉だ。今でも、この言葉が私の原動力となっている。彼女の考え方が好きで、音楽センスや言葉の選び方は、とても心地の良いものだった。
 そんな言葉と一緒に、桜色の万年筆をプレゼントしてくれた。万年筆は、丁寧に手入れをすれば、ずっと使うことができる一生物の道具だ。

「これからも、親友でいようね。」

そんな気持ちを込めて渡してくれていたはずだと思っていた。でも、一緒にもらった手紙は、不思議なことに、これまで一度も読み返したことはなかった。

あれから数年が経ち、ほんの少しだけ大人になった。貰った万年筆は、どこにあるかもう分からない。彼女とすれ違ったタイミングで処分したような気さえする。友だちには、おそらく旬がある。親友とは、人生の選択のタイミングですれ違った。その時に目指していた人生の選択に私は成功し、彼女は擦り傷を作って、また挑戦しようとしていた。

都合の良いように過去を思い返せば、彼女から「利用されていた」ように思える。彼女の話したいタイミングで連絡が来て、具合が悪ければ「心配してくれるな」と音沙汰なしだった。
 きっと彼女も必死だったのだろう。人生が変わる瞬間は、誰だってそうだ。怖いし足がすくむ。クラクラする。胃が痛くなって、吐きそうになる。

そんな彼女を応援したかった当時の私は、きっと真綿で首を絞めていたのだろう。彼女の気持ちを汲めるほど、大人じゃなかったし、手放しに「大丈夫だよ」と言っていた。それは、彼女にとって、耳を塞ぎたくなる言葉だったはずだ。謝るタイミングは、もうなくなってしまったけれど。

結果、彼女とは音信不通のままだ。万年筆は、インク切れのまま、持ち主不在で何処かへ行ってしまった。こんな風に、誰しも人とぶつかる経験は多かれ少なかれあると思う。平々凡々なことだが、ぶつかっても、直向きに向き合うことが必要な時がある。やらないときっと後悔する。大切な人を傷つけた時。きちんと修理をしないと、どこかで巡り巡ってやってくる。深く厚くずっとかさぶたのまま癒えない傷が。

年を重ねるごとに、その人を大切に思う。昨日よりも今日の方がもっと好きになる。ぶつかる前よりも、その人との関係をもっと大事にしようと、行動を改める。丁寧に、我が子を育てていくように、使い込まれた万年筆のように向き合えたら、いい付き合い方なのではないだろうか。向き合って、相手を許す。これが、簡単なようでなかなかできないけれど。

ただ、どうしても許せないこと、一方的な嫉妬や乱暴な悪意を向けられた時は、潔く距離をとる。付き合う人を変える。不思議なことに、付き合う人を変えると、行き詰まっていた状況が、がらりと一転する。違和感を持ち続けるより、いっそ手放したほうが、新しい出会いが訪れ、違和感をいつの間にか修理をしてくれる。

かつての「親友」との未来の先は、書きかけのままで、今後も描かれることはない。もし今後、彼女に会うことがあったら、伝えることはただひとつ。

「はじめまして。」

そう、「よろしくお願いします。」とはもう二度と言わない予定だ。


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