風が鳴る

※お立ち寄り時間…5分

 「小夜子!学校に遅れるわよ!」
 「はーい、今行く!」

我が家の鬼軍曹である母の声がいつもの3倍の反響で2階にこだましてきた。昨日は、どうしてもドキドキして眠れなくて、いつもより30分も遅く起きてしまった。ああ、どうして夏の太陽はこうも早起きなのだろう。

何故ドキドキしていたかと言うと、突然彼からメラインがきたからだ。これは、予測不可能な事態である。

昨日の夜、こんな夜にラインが来るなんて誰だろうと訝しげに思い画面を見ると、照らされた名前に思わず目を見開いた。

『夜にごめん』
『英語のプリント見つからなかったから』
『明日の朝コピーさせてもらってもいいかな』

スタンプ1つない素っ気ない文面。それだけで十分だった。

2か月前にたまたま先生に割当てられた臨時委員会。活動は半年に1回ぐらいしかない名ばかりの委員会だったから、ラインを交換して以来だった。

思わず自分のほっぺたをつねる。え、夢じゃないよね。すっごく痛い。どうやら夢ではないらしい。すぐさま開き、返信を打ち込む。

『大丈夫。明日の朝持っていくね。』

送信ボタンを押してからはっと我に返る。

嬉しさのあまりいつも友人に送るような、可愛さのかけらもない、業務用にしてしまっていた。


いや、今から可愛いスタンプ送るか…。
でも寝てたら、通知何回もうるさいよね…。

ベッドの上で一人悶々と手足をバタバタさせていると、ものの数秒で彼から返信が返ってきた。着信音に胸が高鳴る。ゆっくり目を画面に落とした。

『ありがとう。そしたらまたあした教室で。』

頭の中で文面を繰り返す。

「またあした教室で…。だって!」

頭の中で繰り返していたつもりが声に出てしまってしたようだ。嬉しさのあまり大声を上げてしまい、隣から怒号が飛んできたのは、ここだけの秘密である。

重たいカーテンを開け、窓を押し開けると、新鮮な空気が部屋の中に舞い込んできた。唯一涼しさを感じるこの朝の時間が小夜子の一番好きな時間だった。制服のリボンを結び、それから鏡に向かって笑顔の練習。いつか君にとびきりの笑顔で「おはよう」と言うための。

「いってきまーす!」

口にトースト一枚を食わえると、家の前にある石段を駆け下りる。いつもならゆっくりご飯を食べてから学校へ向かうが、今日は30分も押しているのだ。それに、いつもの時間帯に学校に行かないと、彼と2人きりになることが出来ない。

まっすぐ伸びる坂道を勢いよく下っていく。鎖骨あたりまで伸びた髪が太陽の光を浴びてキラキラ波打つ。肩の上でだらしなくはねた髪の毛を伸ばし始め、毎朝カールをかけるようになったのも彼に少しでも可愛いと思ってもらうためだ。

今日も鼻の先にお気に入りのシャンプーの香りが漂う。坂道が作り上げた向かい風が、紺色のスカートをふわりと翻す。あそこの交差点を左に曲がれば、もうすぐ彼と会う場所に出る。

そう、早起きを頑張るのだって、10分間だけでも彼を視線の端に留めておきたいからなのだ。

『今日は、今日はもう学校に居るかな』

そんなことを思っていると、いつもの交差点に見慣れた背中が見える。少し前を自転車で走っているのは、紛れもなくずっと追いかけて来た彼だった。交差点に目を向けると、信号機が点滅している。

『赤にならないかな。』

遠くでチカチカと意地悪に点滅する信号に願いをかける。もし、赤信号になったら、とびきりの笑顔でおはようって言うんだ。

風が耳元で鳴る。紺色のスカートは大きく翻っている。でも今は、そんなことどうでもいい。遠くの信号は、点滅を繰り返すと、優しく微笑むかのようにすぐに赤信号に変わった。ここの赤信号はとびきり長いことで有名なのだ。

「お、おはよう!!」

彼の隣に些かあわただしく立止まると、いつも練習していたとびきりの笑顔で彼の顔を覗き込んだ。いつも以上に寝癖のついた髪の毛がくるりとこちらを向く。

「おはよ、小夜子ちゃん」

眠たげな瞼をこすり、イヤフォンを耳から外すと、くしゃりと私に笑いかける。思わず蘇る彼と出会った小春日和の放課後。あの時もこんな風にくしゃりと笑って、私の名前を呼んだっけな。

こころの奥のそのまた奥深くを根こそぎ持っていかれるような感覚。こんな風に私は恋に落ちたんだ。

「な、なに聞いてたのー?」

透き通るような茶色の瞳に何もかも見透かされそうで、思わず話題を変える。いつの間にか自転車を降りた彼は、聞いていたイヤフォンの片側を私の耳にそっと当てる。

「絶対に小夜子ちゃんが好きな歌」

そう言ってまた、わたしにくしゃりと笑いかける。イヤフォンを当てた彼の指が、髪をかけた私の耳に当たって思わず下を向いた。

心臓が今にも口から飛び出してきそうで、君の行動はいつも予測不可能。こんな調子だから、君のこともっともっと好きになっちゃうんだ。

回り道したくなる学校までの10分間。イヤフォンから流れる曲を聴きながら、同じ歩幅で歩きだす。真夏の空の下、私の恋が駆け出していく。

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