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反戦と加川良

 終戦記念日が近づいている。これを機に、どんなキャンペーンが打ち出されるのだろうか……

そんな折り、noteの記事を色々と読んでいたら、昭和の反戦フォークの特集が目に止まった。まあ、60年代から70年代にかけての、セピア色の世界である。

僕は元来、中学生頃からのジャズファンで、耳に入っていたはずながら、かかるフォークはおろか、日本の音楽事情には無頓着であった。

ただし後年、小説を書いていた叔父2が、本人はあまり音楽を聞いているふうではなかったのだが、僕に忌野清志郎や中島みゆきを勧めてくれた記憶がある。

そんな中に、加川良という名前もあったと思うが、全く失念していたところ、上記の記事に出会い、ふといくつか古い反戦フォークを聞いて、当人の代表作という「教訓1」という歌にぶつかった。取りあえず、知らない人がいるなら聞いて頂きたい……

当の歌に対する、感想は控えておくが、その頃の時代背景等は以前、70年代ファッションの記事を書いていた時、ちょっと復習しておいたので思いだしてみた。

事を日本のフォークソングに絞れば、大御所ボブ・ディランのパクりに近い形で飛び出してきた吉田拓郎がスターだったことに間違いはない。確かに、その才能は認めざるを得ないし、その後のJポップスの土台の一つになったことも否定しない。
 ただし、その反動として彼は当時の若者の魂であった「反戦」の旗幟をあっさりと捨て去ったことも事実だろう。
 当時、このスターに対し、「帰れ!」コールが飛び交ったとも聞く。裏切り者……というイメージがあったのかも知れない。
 たぶん、そんな吉田拓郎とは真逆のスタンスに立ち続けたのが加川良だったのだろう。

僕としては、二人の生き様等を詳らかに検証するつもりはないが、調べてみたところ、時代の「勝ち組」として吉田拓郎はいまだ健在ながら、加川良は五年ほど前にこの世を去っていることが知れた。芸能関係のニュースには疎い身ではあるが、その死を知らせるニュースに接した覚えはなかった……

今、僕に出来るのは、二人が当初ステージを同じくしながらも、違う道を進み始めてから以降の、残された映像や写真を見比べることだけだ。

勝ち組拓郎の笑顔をどう見るか、ここで意見を挟むつもりはない。
 ただ僕が言えるのは……晩年のステージで古い「教訓1」を歌っている加川良の、人間的な、あまりにも人間的なその笑顔が大好きだということだ。

敗戦記念日に、全国でどんな歌が流れるかは予想がつくが、僕はその日、加川良の歌を、決して懐メロとしてではなく……じっくりと味わってみるつもりである。



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