三年ぶりに雨が降った
ただ何となく過ぎて行く時の流れ
夏休みが始まったと思ったらもう終わり
新学期が始まったと思ったらもう卒業式
就職して、2度目の冬だなと思っていたら
もう数えきれないくらいの時を、過ごしている。
特に楽しい思い出もなく
特にツラい思い出もない
いや、思い出せばどちらもたくさん出てくるけれど
日々の暮らしの中では、完全に無意識な思い出たち
時は有限、時間こそが価値であり財産である。
そんな考え方に触れてから、どの位たったのかな?
先を見て、計画して、目の前に集中して、成果を上げる。学びもせず、漫然と過ごすことの恐ろしさに気付いた者から学び、走り出す。
何のために…?
私には未だによくわからない。
生活のため、子どもたちのため、未来のため、
少しでも良い世界にしたくて走っている人たち
その心の中に、単に富を得たいからという気持ちが混ざっていても、それを責めたてられる世の中でも無くなってきた。
清く正しく美しく、
なんて言葉、まったく聞かなくなった。
そもそも、何が清く正しいのか
曖昧になったのかもしれません。
変化の時代とは、よく言ったものですね。
なんてことをぼんやり考えながら、今日のこの日を味わっている。私の地方での7月19日は、3年ぶりの雨。あの時と同じ空模様。あの、傘をさして出社した日と同じ。
あの日を境に、時間との付き合い方が変わった。
それは、生き方が変わったことと同じ意味。
なんとなく過ごし、なんとなく時間の大切さを意識し、でもハンディを抱えた子の進級や進学、年齢差を日々痛感し、あと何年で何を残せるかとどこか焦っていた日々。
親を亡くすとは、過去を無くすこと
伴侶を亡くすとは、今を無くすこと
子供を亡くすとは、未来を無くすこと
過去も現在もあるけれど
未来だけが無くなった。
去年やってみたストレングスファインダーでは、
最下位資質が「未来志向」だったのは納得の結果。
でも、過去と未来を意識できる人間は、未来が見えないと生きていけない。
なので私は、魂の存在を信じるしかなかった。
あちらにいったら、また会える。そうしたら、また一緒に笑ったり泣いたりすることができる。
その日が来るのを楽しみに、ちゃんと迎えにきてくれるように、自分に恥じない生き方をしようと心に決めた。
その自分とは、単なる自分らしさ、自我ではない。
いちばん深いところにある存在。
私一人はとても小さな存在で、私が出会える人も限られる。でも、私が自分を探求し、私が存在に気付くことが、直接出会える人の何倍もの人に影響を与えられる気がする。すべては繋がっているから。
天の配列が、出会ってきた全ての人との配列が、
今は自分探求に自分を駆り立てている。
これは、反応の感情ではなく、そうせざるを得ないと感じさせるもの。
今、自分がやりたいことは、自分をとことん見つめること。そんなキッカケを与えてくれた、右肩の天使さんに、感謝です。
もう、あなたの心配はしてないからね。
今は自分のやりたいことをやってるからね。
ところで、三歳のお誕生日、おめでとう。
おかげさまで、今日も元気です。
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