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人としての価値

最近読んだ本で、「飢饉普請(ききんぶしん)」という言葉を知りました。

近江商人のお話で、飢饉で不作になり農家が困っていたら、仕事(普請)を出して、農家の人に働いてもらい、お金を出す。お金を貯めるばかりではなくて、飢饉など、皆が苦しい時ほど、出し惜しみせずに使うこと。

それが、その家を繁栄させる事になる。皆が苦しい時に、逆に値上げなどをして儲けようとする家は、無くなってしまう。

このようなお話を聞き、思う事があります。

これは、平時にたくさん利益を上げている人に対する教訓だ。会社員では無理。そもそも、毎日ギリギリの生活をしていて苦しいのに、世の中のためにお金を使おうなんて気になれない。少しでも目の前の利益に飛びつく事が、賢い生き方だ。

この考え方、ごく普通ではないでしょうか。
なので、お金のある所にはお金が集まるんでしょって。

今、なんとなく思う事があります。
価値とは、お金だけなのか?

会社員は、事業を順調に営んでいる経営者と比べれば、可処分所得は遥かに少ない。
けど、365日、24時間ずっと経営の事を考えている方よりも、可処分時間や可処分精神は多いのだろうと。

もちろん、勤務時間は会社に拘束される、ノルマは果たさねばならない。それでもやはり、ノルマを果たせば、あとは自由であり収入が約束されている。

ならば、会社員に饑饉普請の精神を当てはめるのは、どうなんだろうか? それで、幸せを感じたり収入につながる事があるのだろうか?

周囲の同僚が忙しくて困っている。自分も忙しい。
こういう時、自分の仕事を先ず終わらせたら(ノルマを果たしたら)それで終わりなのか、それとも手を差し伸べるのか? 
また、同僚の仕事を引き受けて、人の分まで頑張った事実として自分の実績(利益)をアピールするのか、あくまでもお手伝いなのだからと、実績(利益)は全て同僚に譲るのか?

人も自分も困っている時に、どういう行動を取るのか?

会社員の私に経営の事はよくわかりませんが、何にしても、人から喜ばれる行動を心がけること、我欲に負けたり傲慢にならないことが、結局は利益(評価)に繋がるのではないか、私はこう思います。

会社員の社内評価は、ノルマ達成度や目立つ実績で左右されることは残念ながら否定できません。

でも、少しずつそんな雰囲気が変わってきていると思います。もちろん、会社を出てしまえばどうなるのか、答えは見えていると思いますが…。

お金に余裕があるなら、お金を使い
時間に余裕があるなら、時間を使い
こころに余裕があるなら、こころに寄り添い

どれだけ人に喜ばれるか?
どれだけ世の中に喜ばれるか?

大切だと思うけどなぁ。

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