日々の暮らしの中で
今日は疲れた、やりたくないな。
と、思いつつも、ため息をついて始める食器洗い。
隣の部屋からは、TVに夢中な家族の笑い声。
その声で、イライラが増幅される。
(TVなんて見てないで、たまには手伝ってよ!)
(怒りの感情)
しばらくすると、その声も静かになる。
ふと目線を上げてみる。TVがついているのを見て、何故だかホッとする。
(せめてそこに居てよ…)
(欲しがる感情)
やがてTVも消え、人の気配もなくなった。
水道から流れる水の音が、虚しく響く。
(さみしいなぁ…)
(悲しい感情)
更に十分ほど経った頃か?
水の音が気にならなくなる。身体は黙々と目の前の食器や道具を綺麗に洗っている。
激しく左右に振れていた心が中立で止まる。
(外側に向いていた気持ちが、内側に切り替わる)
心(自我)が消える。
静寂の中で、自分を見つめる自分が居る。外からの刺激が、スクリーンに映し出される単なる映像に変わる。この瞬間が好きで、私は食器を洗っている。
(内側にあるしあわせ)
毎日毎日家事をこなして来た母が、
きっと感じていた風景なんだと思う。
私も少しずつ、その境地に近づいている。嫌々だったとしても、終わった時に幸せを感じたなら、それでよし。
日々の暮らしの中で心を鍛錬し、
しあわせを感じる心を育てて行く。
少しずつ、少しずつ…
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