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あたりまえの中にある価値

当たり前のこと、この価値になかなか気がつけません。

先日、自宅の壁にある照明スイッチがグラグラしていると、家族が騒ぎ出しました。私も認識はしていましたが、見ると一層グラつきがひどくなっていました。

仕事にしている訳では無いが、私は電気工事士の免許を持っており、スイッチ類の取付け方などは大体想像出来ます。カバーを外し、スイッチを外し、ビスを増し締めするだけ。数分で直しました。

私にとっては、簡単で当たり前のこと。

でも、そんな知識をもっていない家族にとっては、物凄い技術を見たと大騒ぎ。

電気に関して言うならば、大きな発電所や長大な送電線、太陽光や風力などの分散型電源は、国レベルで貢献して頂いています。

私が手直しした自宅の照明スイッチは、LEDを1つ灯すだけです。

どちらも人を幸せにします。
どちらも価値を生む働きです。

でも、電気は来てあたりまえと思えば、電気があるからといって、あらためて有り難みを感じることはない。

私は、自分であたりまえだと思っているので、スイッチを手直し出来ても、プラモデル位にしか思わない。

あたりまえと思っていて、価値や存在に気が付けていない事が、沢山あると思う。

自分では何も感じなくても、今の環境では価値を見出されていない人でも、ひょっとして「あたりまえ」とされてその価値を見落とされているだけかもしれませんね。

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