自分の暴走を、他者理解に繋げたいと思う話

宝塚について友人(宝塚に詳しくない人)に話す時、それこそ相手が話す隙間を与えないくらい、次々と喋りまくってしまう私の癖がある。

宝塚の成り立ちの話から、小林一三さんの話、AKBと似ているシステムや、スター制度の話、

芋づる式に話したいことが湧き出てきて、延々語ってしまう。

そのあとで、「やっちまった」と気づくし、「身勝手なセックスをする男みたいだな」と感じて恥じる。

友達は結果的に宝塚に興味を持ってくれたりするし、「今度一緒に観に行きたい!」と言ってくれたりするんだけれど、

もっと、話を短く切って会話のキャッチボールをすれば良かった、私のターンが長過ぎた、余裕がなさすぎる、と自分の振る舞いについて反省することがしばしば。

で、誰しも、夢中になって周りが見えなくなって暴走してしまうことってあるよね、と思っていて、

ジャンルが違えど、他の人が夢中で語りまくったり、暴走してやらかしてることも、

自分もそういうとこあるし、と、温かく受け止めようと感じた次第。

自己否定しまくる必要はないけれど、自分の未熟さを知っていること、過去やらかした失敗や幼さをなるべく覚えておくことは私は大事だと思っていて、

自分と相手が必ずしも一緒ではないけれど、自分もそういう時あるな、そういう時期あったな、だから、責められないよな、と許容できるから。

そんなことを今朝思ったので忘れないようにメモしておきます。