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本能寺の変、黒幕はキリスト教②~信長が殺された理由

イエズス会を危険視するようになった事件

1580年、信長がイエズス会を厄介な存在と思うようになるような事件が起こる。

それは長崎のキリシタン大名、大村純忠が長崎をイエズス会の教会領として渡してしまったのだ。

それは、長崎がポルトガルの植民地になったと言っても過言では事件だった。

これについては羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、イエズス会の危険性を信長に伝えたことから、信長は日本からキリスト教を排除したいと考えるようになった可能性は大きい。

(ちなみに大村純忠のキリスト教への信仰は過激であり、領内の寺社や先祖の墓を破壊したり、さらには領民にもキリスト教を強き、改宗しない領民は土地を追われたり、殺害されたりする事件が相次いでいた。)

・「弥助」スパイ説

1579年に来日した宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、1人の黒人を従者として同行させ、1580年、その黒人を信長と謁見した際に献上。黒人は「弥助」と名付けられ、本能寺の変の際も信長と行動を共にした。しかし、弥助は本能寺の変で死ぬことはなく、信長の息子で後継者の信忠の元へ逃げ、再び明智光秀の軍と交戦。最後は投降を呼びかける明智軍に応じて捕えられ、南蛮寺(南蛮風の教会)へ送り込まれた。

なぜ光秀は弥助を殺さなかったんでしょうか?

イエズス会の人間を殺したら面倒になると考えたのか?いや実は弥助と光秀は裏で繋がっており、弥助はイエズス会のスパイで信長の監視役であったのかもしれない。

信長は、ヴァリニャーノに信長が交渉し、弥助を譲り受け、大変可愛がったと言われているが、そもそも前年に大村純忠の事件があって、イエズス会を危険視していたかもしれないのに、弥助を自分の手元に置きたいと思うだろうか?

危険視はしていても、硝石を得る為に信長は「いい人」を演じていただけかもしれない。ちなみに南蛮寺に送り込まれた後の弥助の消息は不明になっている。

・信長を利用し、日本と明を征服しようとしたイエズス会

ではなぜ信長が殺されたのか?それはイエズス会が信長を利用して明を征服することが不可能になったからだと私は考える。

実はイエズス会内部には武力によって日本や明を征服するという思想を持つ者も存在した。しかし、遠方である明に兵を送るのは困難と考えたイエズス会(正確にはそのバックにいるポルトガル)は、信長に協力してもらい、日本から明に兵を送って、明を征服しようと目論んだ。

信長も硝石を得る為にイエズス会と良好な関係を保つ必要があり、キリスト教の普及に寛容だった。しかし、天下統一に近づくにつれ、イエズス会の協力がなくとも信長は絶大な力を持つようになり、この頃の信長は自身の神格化を目指したとも言われ、キリスト教の影響力の凄さも知っている信長なら「宗教」という力の大きさも理解していたはず。「銃」の次に求めた力が自身が教祖となる「織田信長教」だったのかもしれない。

そのような状態の信長にとってイエズス会は厄介な存在となり、イエズス会にとっては信長が厄介な存在となり、信長に対し、「様々な感情」を抱いている明智光秀を巧みに利用し、信長を暗殺したのだ。


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