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甘酸っぱい日々

quince, coings, Quitten......。知っている言葉を総動員して並べてみた。そこに知らない言葉を一つ、混ぜてみる。

quince, coings, Quitten, 榅桲。

最後の漢字二文字が中国語として合っているのかどうかはわからない。けれど「桲」は檸檬の檸かな、檬かな、いやどちらでもないのかな、と想像してみる。「榅」は見当もつかない。三つの西洋語のどれが、音として 榅桲に最も似ているのだろうか、あるいはどれも全く似ていないのだろうか。

文字面を眺めているだけで口の中に唾が溢れてくる。そして中国が原産とされるこの芳しい果実が、なぜ、日本語では花梨なのかな、と不思議に思ってちょっと調べてみたところ、長年の誤解が判明。私がこれまで長らく花梨と信じて疑わなかったものは、実は「quince, coings, Quitten, 榅桲」とは別物であったらしい。そう、こちらは日本語では「マルメロ」というものであるらしいのだった。

マルメロという音も、どこかで何かの折に耳にしたことがある気がしなくもないけれど、マシュマロや懐メロやカラメルまでもが渾然一体となって一つのぼんやりしたグループを成している側面もありそうなので、厳密には初出に近いのだろうと思う。マルメロと花梨の違いの決め手、それは表面が不思議な綿毛に覆われているか否か、にあるらしい。

友人の庭の花梨、もといマルメロの大木が今年は大豊作だというので、私もそのお裾分けにあずかったのがことの始まり。秋になれば犬の散歩道の途中の公道になってるマルメロをいくつかもぎ取ってきてジャムにするということをもう何年も続けているが、今年の量は半端じゃない。ジャム数瓶でお茶を濁せるレベルではない。というわけで、取り組みました、マルメロ・プロジェクト。

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その1、pâte de coing

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なんと訳していいかわからないが、「柚餅子(ゆべし)」というお菓子に似たぷよぷよっという食感をもつこの甘酸っぱいおやつは古くから「おばあちゃんの味」の代表選手としてフランスおやつ界に君臨してきた有名アイテム。市販のものはなんども食べたことがあるし、その度に「あ、ゆべし」と連想し続けてきたこのお菓子の手作り初挑戦。果実を皮ごと四つくらいに切り、タネとか軸は捨てずにティーバッグ、もしくは類するガーゼなどの袋に入れ、実と一緒に水でコトコト煮る。それをミキサーにかけてドロドロにし、そこに砂糖とレモン、ヴァニラシードやシナモンスティックなどを入れて煮込む。鍋にくっつかないくらいのポヨポヨ感が出てきたところで中身をクッキングシートを敷いた平たい容器に流し入れ、あとは数日乾かす。乾いたら食べやすい大きさに切って缶に入れて保存。

その2 ジャムとジュレ

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ジャムは例年通りに普通に作り、まだまだ大量に残るマルメロのうち3キロでジュレを作ってみることに。途中まではpâte de coingとほぼ同じ。しかしそのあと、ミキサーにかける代わりに果肉から果汁を搾り出さねばならない。圧縮機(というのか?)など所持しないので、麻布やら濾し器やら、使えそうなものを次々試し、自力で押す、絞る、押す、絞るを繰り返すも、残骸(「おから」のイメージ)に比べ、搾り出される果汁がさほど集まらないのがケチンボ心に悔しくてならない。なのでさらに必死に、満身の力を振り絞る(そして絞る)が、ポツリ、またポツリ、という速度でしか垂れてきやしない。何時間、絞り、圧し、押し続けたことだろう。この辺で良しとしよう、という境地にはなかなか至れず、やはり自分は、こと口に入れるものに関しては相当な吝嗇であると認めざるを得ない。まあそんなして、それでも鍋いっぱいぶんくらいにはなんとかたどり着き、あとは砂糖とレモンを加えてとろみが出始めるまで煮ていく。果実自らに含まれるペクチンだけでゼリー状になる。表面に浮き出てくるアクはそれ自体、なぜかさらに早いスピードでゼリー化する。こうしたゼリー化プロセスは鍋の火を止めた後、温度の低下と共に一気に進む。そんな「化学変化」に目を見張る。料理はおしなべてどれも化学変化だけれど、感動的な変化と、さほどでもない変化があるな、ということをいつも思う。

その3 シロップ

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こちらはマルメロがまだ花梨であると信じていた時代から時々作っていたもの。やはり皮付き、いちょう切りのマルメロに生姜を輪切りにしたものを混ぜ、そこにたっぷりの蜂蜜をかけておくと、しばらくするといい感じのシロップが出来上がる。

「花梨は喉にいい」

母だか祖母だかから聞き覚えた説をなんとなくずっと信じ続けてきたので、風邪を引いたとき、喉がちょっと痛いなという時にこのシロップを白湯で割って飲むのはもちろん、もしかして声にもいいかも、と合唱オタクになっている昨今の私はシロップ作りにもモチベーションが上がる。花梨とマルメロは別物と知った今も、いや、きっと効くに違いない、と変わらず信じ続けることにした。

かくしてマルメロ収穫日より一週間をかけ、しつこくしつこく消費をしてきたが、残るはあと1キロくらい。これは何かのレシピで見かけたチャツネにしてみよう。

最後にもう一つ。イラク出身の亡き義父は、このマルメロを偏愛しており、とりわけpâte de coinsには目がなかった。なんでも彼のお母さんが先祖代々伝わるレシピで作る世界一の味だったと言い張る。イラクバージョンのそれは、中にアーモンドを入れるのだそうで、あら、それってゆべしにくるみ入れるのと同じ発想じゃないの、と気がついて、そうだそうだ、世界はこうして食べ物でつながって、遠く離れた土地と土地が共有しうる懐かしい味というものをたくさん持つのだ、というかねてよりの信念をまた一つコンファームされた思いだった。ゆずとマルメロ、それぞれの個性際立つ甘酸っぱさは、土地固有の秋の木の実とめっぽう相性がいいのだ。それを遠い昔の誰かが発見し、おお、これはイケるということになって長寿のおやつとして今も君臨し続けている。

「ところがだな、中には硬いアーモンドが混ざってることがあって、それをガブリとやった日には歯がかけそうになるから注意しなきゃならん」

ふーん、そうなのか。事の真偽を深く考えもせず聞き流していた義父の声が、マルメロ・プロジェクト没頭中、何年かぶりに突然、聞こえた。そして、プロジェクトですっかりこの果実と親しんだ今の私にはわかる。それはアーモンドではなく、マルメロの芯の、煮ても焼いてもどうにもならないあの鮫肌のような絶望的に「固い部分」のことであったに違いない、ということが。



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