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【Essay】 16年間、ありがとう。

黒い猫を飼っていました。
築地市場に捨てられていた子。凛々しい顔立ちから、拾い主には市川海老蔵さんの当時の名前「新之助」と名付けられ、里親探しの掲示板に紹介されていました。

15歳の冬、彼の右顎は癌に侵されてしまいました。
最初は右の頬が腫れ上がり、かかりつけの獣医の先生に「先生、顔がこんなになっちゃったんです」と言いながら連れて行きました。
いろんな検査をして数週間後、「癌ですね」と診断され、腫れていた頬はみるみる崩れ始め、真っ赤に充血した右眼が剥き出しになっていきました。
抗がん剤は効果なし。
ペット用に放射線治療をしてくれる病院もあると教えてもらいましたが、片道1時間以上もかけて電車で連れ回すのは可哀想で。
「このまま、できる範囲での治療を」とお願いをして、見守りました。

最後は立ち上がることも厳しいのにゴハンを食べようと体を引き摺っていき、餌に顔を突っ込んでペロペロと…、強い生命力を見せてくれました。
トイレも大変なのに、最後まで自力で行こうとしていました。
そして、ふと気づいたとき、全身の力が抜けて息をしているだけの、ただならぬ様子を目の当たりにして、
私はもう夢中で、彼をタオルにくるんで抱きかかえ、先生の元へ走って行きました。

「先生、もうダメかも・・・」
泣きそうな顔で、ケージにも入れず彼を抱える私の姿を一瞥すると、先生は静かに彼に点滴をしてくれました。
「ああ、気がついた? どこなのかわかる?」
意識を取り戻した彼に先生が話しかける声を聞いて、ほーっとしたものの、
「あと、持って3日。」と言われ、本当に最後の時間が迫っていることを覚悟しました。

帰り道、来た時のようにタオルにくるんで抱きかかえながら静かに歩いていると、彼がふっと頭を上げ、不思議そうに上を見上げました。
雨だった、あの日。
「雨だよ」と傘をずらし、薄暗くなった空から降ってくる雨空を一緒に見上げたこと。なぜか、そのシーンが一番、今も鮮やかに記憶に残っています。

帰宅して、私のベッドに寝かせて、一緒に腰を下ろし、ちょっとスマホに目を落としている束の間に、彼は本当に静かに天国へと旅立っていきました。

翌月には16歳になるはずだった彼。
ものすごい人見知りで、何度も来たことのある友人に「本当に猫飼ってるの?」と言われたことも。
臆病なのに、ベランダつたいに隣家に迷い込み、生爪が剥がれる勢いで逃げ帰ってきたことも。
名前を呼ばれれば返事をし、トイレにまで付いてくる可愛い奴だったこと。
抱っこは嫌だけど傍にはいたくて、長い尻尾が必ず私の身体のどこかを触わっていたこと。
息子の学生カバンになぜか何度も何度もオシッコをしたこと。

いろんな想い出があり過ぎて、本当に、本当に愛おしい子だった。
今もスマホには、たくさんの彼の画像が残っています。



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