見出し画像

私の世界の見方

アイデア

・世界の人口は80億人くらい
×
・個人が持っている世界観・価値観はすべて唯一無二

自分の考えは80億分の1の稀なもの

現実

人間の認知特性と根拠

 ”自分の考え”って論理的には稀なものであるはずなのだけど、人間はたいてい、自分が自然と感じている感覚に対して批判や疑念はあまり持たない。言い換えれば、人間は日ごろから様々な出来事や状況に出会った時に自然と想起された考えやイメージのことを、なんとなく”正しいもの"として認識している。
 なぜかというと、その自然に想起された考えやイメージの出所は自分自身が持っている世界観だからだ。自分が出会った出来事や状況に対して、脳は瞬間的かつ無意識の内に、自分が持っている世界観に照らして評価を行う。
そしてその評価の結果こそ、この”自然に想起された考えやイメージ”であり、専門的には"Automatic thoughts(自動思考)"と呼ばれている。
 自分の世界観を通して評価した結果が無意識の中から湧き上がってくるわけだから、その人自身がそれを「正しいもの」を認識するのは当然ともいえる(無意識に受け入れている、といったほうが適切かも)。

”言葉”による影響

 加えて、言葉には個人間の考えやイメージの差異を隠してしまう特性があり、この特性にはメリットもデメリットもある。
 メリットは個人間のコミュニケーションを円滑にしてくれること。
 デメリットは自分の考えと同じ考えの人がいると錯覚すること。
ここでいう、”考えやイメージの差異”とはどのようなことかというと、例えば「犯罪は悪いことですか?」と問いかければ、そもそも2択なので同じ回答をする人が複数いるだろう。そして同じ回答を選んだ人同士はお互い同じ考えを持っていると考えるかもしれない。
だがYESと答えた人達に、「なぜ犯罪が悪いことだと思うか?」と問えば意見は分かれ始める。さらに詳細に質問を繰り返していくと、全く同じ思考によってYES(またはNO)と解答した人はいないことがわかるはずだ。
 このような”言葉”の特性も相まって、通常は生活の中で自分の考えに対して”稀なものである”という感覚は薄まるし、前述の認知特性の話とあわせると”自分の考え”が稀なものとして認識されないのも当たり前と言える。

”自分の考え”=1/80億として捉えたら世界はどう見えるか?

 普段自分が自然と「これはこういうもの」と思っているものに対して、改めて「それは全体からすると1/80億の稀なもの」であるという目線で捉えなおすと、自分の考えを基準に物事を論じたり成否や善悪の判断をすることがなんとなくお粗末に見えてくるし、ことさらに押し通したり主張することはちょっと恥ずかしいようにも思えてくる。
 ついでに言えば、人間関係上のいざこざには、多くの場合自分が正しい(または相手が間違っている)という想いが作用しているし、自分の考えと現実世界との間にギャップが生じることは精神的なストレスに繋がる。

もし”自分の考え”があなた自身を傷つけているとしたら

 前述の通り、精神的なストレスは"自分の考え"と現実世界とのギャップから湧いてくる。現実世界に対して(例えば自分の意見をしっかり伝えて相手に行動変容を求めるなど)自分の行動をもって制御できる面もあるが、自分の行動で思い通りにならない現実も多い。そのような場合、自分の考えにこだわるほどストレスは大きくなるし、それは自分自身を傷つける。
 自分の考えの正しさにこだわることが、結果的に自分にとって損失しか生まないのであれば、「どうせ1/80億だ」と割り切って現実世界のほうをありのまま受け入れるという選択肢も検討してみる価値はあると思う。

私の世界の見方

 ともあれ、1/80億がひしめき合って共同生活していると考えると、この世界は本当に面白く、愛おしいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?