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行き場を無くした優しさで溢れる花壇

優しさはいったいどこに行ってしまったのでしょう。忙殺されて行き場をなくして優しさは一体どこにいってしまったのでしょう。ランドセルを背負った子供達が挨拶をしてくれる時にもらったあの優しい気持ちは、転んでしまった時に声をかけてくれて荷物を取ってくれた時にもらったあの優しい気持ちは、仕事で頑張って辛くなった時にそっとチョコレートを机の上に置いてくれた同僚の優しい気持ちは、たくさんの人からもらったあの優しい気持ち達は、私の中に入ってきてそこから一体どこにいってしまったのでしょう。

今日は行き場のない優しさが溢れた場所を見つけたのでそのお話。

近くの河原のお話です。

最近運動不足解消のためにできるだけ歩くようにしてるのですが河原を歩いた際にこんなものを見つけました

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ここの河原には、8個の花壇があります。その花壇ひとつにひとつペットボトルの口の部分に100円均一などにあるジョウゴの口がつけられ手紙が添えられてました。


欲しがっていたらこの水を花にやってください

ご協力に感謝します

①花に水をやってください

②水がなくなったら満タンにしてください

だれか花が好きな人が作ったのでしょう。私がそれを歩きながら見たとき8個すべてのペットボトルが空でした。水をやった後があり花々はきれいに咲いてました。優しい人がたくさんいる街です。花が水を欲しがってたんですね。

ですが難点が一つ。このペットボトルに水を入れるには20段ほどの階段を上がって少し遠くのトイレまで水を汲みにいかなければならないのです。お年寄りには少しハードな運動になってしまうことでしょう。

せっかく時間があったので8個の水をいっぱいにしてみました。全部満杯の状態にするのに約30分ほどの時間がかかりました。1度に2つのペットボトルをもって4往復。

でもこの街には、きっとお花を見て水をやってくれる人がいてペットボトルに水を満杯にしてくれる人がいるとこれを作った人は思ったのでしょう。一度水をやるときっとその花壇のことが好きになる。好きになると気になって花壇を見るようになる。そんな優しい気持ちで綺麗に花が保たれる花壇。きっとこの花壇が綺麗なうちはこの街はずっと住みやすい街でしょう。花壇には、たくさんの行き場を失った優しさがここが居場所だとばかりに溢れてました。

他人事から自分ごとへ変わっていく公共の場所。今まで何もかもしてもらって当たり前。特に公共の場所は、ゴミが溢れれば役所に苦情の電話をする人もいるのでしょう。自分たちで使う場所なのに。

でも本当に必要なのは公共の場所こそ参加して他人事でなく自分事にすることが本当の公共の場所かもしれません。

そうやってちょっと優しい気分を置く自分のことを好きになれる場所。行き場を無くした優しさはこの花壇に溢れる。たくさんの優しさがまた誰かの元へ宿っていく。行き場を無くした優しさはここにたくさんあったんだ!

と書きながら私はすでにあのペットボトルの中が空になってないか気になってきました。空になってれば誰かが水を上げてくれたということで嬉しいしまだたくさん入っていれば誰かが水を汲みにいってくれたのだと思って嬉しい。優しさに溢れた場所では、どんな状況でも嬉しいのです。この後また河原に行こうかな、

#エッセイ #優しさ

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