上場企業の会社員から、継ぐ気がなかった畳屋を継ぎ、斜陽産業の職人を目指す話
31歳、畳職人になりました。
まさか畳屋になるとは思ってもいませんでした。
創業57年、実家の畳屋。斜陽産業。
継ぐ気がなかった、
むしろ「継ぐか・継がないか」という思考さえも
頭になかったのに、東証プライム上場の人材サービス会社を辞め、職人の道へ。
いつの間にか、継ぎたいと思い、やりたいと思うように。
30歳手前まで、やりたい仕事を探し続けて、
見つかったのが家業。
継ぐ気がなかった家業をなぜ継ごうと思ったのか。
後継ぎを悩む方に届けばと思い、書きました。
■学生時代、やりたいことは何?と答えを見つけるべく、人材派遣会社へ就職
大学3年生、就活セミナーで教わった自己分析。
「小学校から大学の今までを振り返ろう、少しずつやりたい事が見えてくる」
就活のセミナー講師からの言葉を受けて、自己分析をします。ただ、中々やりたいことは出てきません。
「自分じゃなきゃできない仕事をしたい」
という抽象的なことは浮かびつつも、
「これだけはやりたくない」
という事の方が浮かんできます。
やりたくないこと。
それだけは嫌だと思い、
商品が有形ではない、
無形サービスの会社を目指しました。
色々調べて、出てきたのが
コンサルタントと、人材サービス業です。
コンサルタントは学歴+地頭も必要で、
中々選考通過しませんでした。
とはいえ、人材サービス業も
消去法で選んだ業界です。
本当にやりたいこととは違いました。
生涯の大半を過ごす仕事です。
「その仕事は、一生打ち込める、やりたいことなのか?」
という質問に、
すんなり「はい」と言える仕事を見つけたかったのですが、結局答えは出ませんでした。
その質問に答えられないまま、
人材派遣の会社に内定をもらいます。
人材派遣の会社は、業務上、業界や業種問わず、様々なお客様と関われる点があります。
当時は絶対に言えませんが、
「いろんな業界の方と関わり、仕事内容や状況を知っていけば、いつかやりたいことは見つかるだろう。」
と内心思いながら、就職をしました。
■社会人生活、本当に一生この会社でいいのか?という思考がつきまとう。
社会人1年目、
自分が想像していた以上の大変な日々を過ごしました。
当初聞いていなかった転居を伴う配属、飛び込み営業。
ビルの最上階から1階ずつ階段で降りて、1階までの飛び込み営業。
ビル1棟単位で営業です。
これよりも大変、というより衝撃的だったのが、先輩との同行で起こった、派遣社員の自宅訪問・生存確認です。
派遣社員が彼氏に監禁されているようで、勤務先に出勤しなくなったのです。
契約上、このまま退職とする訳にはいかないので、自宅に何度か訪問する必要があります。
夜の21時30頃、派遣社員のアパートに到着。
アパート裏の畑にスーツで歩き、靴が埋もれないようにひっそり歩く。部屋の号数と部屋の明りを確認。
この対応には度肝を抜かれました。
監禁された派遣社員の自宅前に到着し、
呼び出し音を押す前に先輩からの一言は忘れられません。
「俺に何かあったら警察を呼ぶ係な。頼む」
監禁している彼氏が何をしでかすかわからないからこその言葉でした。
このような社会人ライフを過ごしていましたが、
3年ほどで仕事に慣れてきた頃から、
少しずつやりたいことは何だろうか?という思いが沸きあがってきます。生活のためだけに、
のらりくらりと仕事を続けることだけはしたくない。
その思いは持ち続けていました。
一生を打ち込める、やりたいことはなんなのか?
■先入観をなくして、いろんなことにチャレンジ。
興味のあることは、とりあえずやってみることにしていました。当時の上司の影響もあって、本も毎月読むようにしていると、少しずつ自分の気持ちに変化が出てきます。
興味あることだけに手を出すのではなく、
自分が一見ためらうことでも、とりあえずチャレンジしようと決めました。
というのも、人材派遣の会社に入社して5年。
仕事柄、100くらいの業界や業種を知り、関わっていましたが、やりたいことは見つからず、イマイチピンとこなかったからです。
自分の今までの価値観・固定概念に縛られ、
興味があるものだけやる生活をこのまま続けても、何も変わらない。
おそらく、やりたいことは見つからない。
どんどん歳をとっていくだけだなと。
今の自分がためらうものでも、
一見、胡散臭いと感じたとしても、
先入観を捨てさって、とりあえず試すことにしました。
それは、仕事も休日も両方です。
1日1回は、昔の自分であれば、やらないことを試していくようにしました。
例えば、中小企業診断士の勉強。
オンラインスクールの入会。
そのオンラインスクールで、
ホームページ作成に出会います。
これが、実家の畳屋を意識するきっかけとなりました。
オンラインスクールでは、
「インプットとアウトプットは、セットでなければ意味がない。」
つまり、ホームページ作成を学べば、
ホームページを作らなければなりません。
仕事しながらのホームページ作成は大変と思いつつも、 「今までの価値観で動いていては何も変わらない..」自分にそう言い聞かせて
とにかくアウトプット(ホームページ作成)していくことにしました。
とはいえ、ホームページといっても、どの商品、どの会社のホームページを作ればいいのか?
考えている内に、実家の畳屋が浮かび上がりました。
実家の畳屋のホームページを作ってみよう!
それが畳のことを知り、実家の畳屋を継ぐキッカケになったのでした。
◾️畳の奥深さを知る
ホームページを作るからには、
SNSもはじめようと思いました。
よく、ホームページ内にTwitterなどの公式アカウントをよく見ていたので、そんな軽い理由でTwitterを再開したのです。学生振りです。
そこで、Twitterで知り合った畳屋さんから聞いた情報元をもとに、畳を調べてみると、知らなかった畳の情報が続々と出てきました。
・畳は色んなカラーがある。
・いぐさには、リラックス効果、抗菌、睡眠効率UP、消臭、空気清浄、集中力UPなどのさまざまな効能がある。
・いぐさには、ランクが存在していて、品種が様々である。 同じ品種でも作り方によって品質に差が出る。
そして、低価格〜高級品がある。
低価格と高級品では、畳表1枚に織られるいぐさの本数に数千本の差がある。そして、耐久性や退色にも差が出る。
高級品の方が、見ため、肌ざわり、色むら、厚み、耐久性、退色の仕方が違う・・・
正直、畳はアパートに敷かれているボロボロで汚い、というイメージでした。 畳屋の息子にも関わらず、畳はどれも同じものだと思っていました。
(畳って奥が深いんだ。)
だからこそ、畳に違いや効能があることに驚き、自分の中で印象深いできごとになったのです。
ホームページを作っていくに当たり、
畳の情報収集をしていると、
畳業界の厳しい現状を知ることにもなりました。
◾️9割減。激減する畳文化
畳のことを調べていると、どんどん情報が入ってきます。
まず、日本の畳文化の歴史。なんと、奈良時代・平安時代に遡ることがわかりました。
つまり、畳には1000年を軽く超える歴史があるということです。
にも関わらず、ものすごい速さで畳が減っている事実を知りました。
ここ20年間で、年間で生産する畳表が70%も減っていたのです。
さらに、国内のいぐさ農家さんは、直近30年間で90%もなくなってしまいました。
こんなに減っているものなのか…
呆然としました。
というのも、祖父や父の話によると、高度経済成長期の畳屋は、ものすごい畳の注文が殺到していたという話を聞いていました。例えば、
早朝4時から仕事で、就寝は深夜1時の日が続いていたというほどの仕事量です。
そして、どの畳屋さんも
注文に対応し切れずに、仕事を断るほどです。
それが、今は畳の生産枚数70%減です。
畳がない日本を想像しました。
旅館も、京都も、伝統的な建物も、フローリングになる世界。畳がない世界。
海外旅行で、その国らしさの文化や街並みを見ることが好きな私ですが、日本らしさとも言える畳がなくなっていくのは、まずいんじゃないか。
私と同じように、日本独特の文化や街並みの雰囲気を楽しみたい観光客も多いはず。
「このまま畳は無くなってしまうのか?」
さらに、調べていくと、畳が減ってしまった原因はいくつかの問題があると感じました。
■畳の問題
1つは、産地偽装です。国産のいい畳と説明し、実際は中国産の畳を納品するなどの事態です。
いい畳を選んでも、品質の悪い畳が納品されてしまっては、畳を替える人も「畳はどれも同じ」と思ってしまいかねません。
もう一つは、新築住宅や賃貸アパートへ格安いぐさ畳の納品。これは、元請会社の住宅を建てる予算・下請け構造の兼ね合いで、畳の予算枠が限りなく少ない状況にあるためです。
そのため、与えられた予算内では、ランクの低い畳を納品せざるをえないという状況です。もちろん、すべての住宅の畳の品質が悪いわけではありません。
ただ、多くは限られた予算内で畳を作るケースが多く、結果として、畳があまり長持ちしない・すぐボロボロになるというイメージがついてしまったのではないかと考えました。
なんとか畳の減少を抑えられないものか?
そうふつふつと思い始めました。
◾️30歳目前、あらためて今後の働き方を考える。
30歳手前は、誰もが一度は、今後の働き方やキャリアについて考える頃だと思います。
私も例外ではなく、このままこの会社で定年を迎えるのか?と自問する時間を作りました。
これからも働こうと思えば働けるけども、
生活の為だけに働いている感じがして、
このまま社会人生活を終えるのは嫌だ。
ちょうどその頃、自作した実家の畳屋のホームページが少しずつ成果が現れはじめていました。
ホームページを改善し、見てくださった方がわかりやすいと喜んでいただき、そして注文をいただける。 マーケティングに楽しさを感じると共に、
学生時代、マーケティングに興味がり、 経営学を専攻していたことをふと思い出しました。
ホームページ作成など のマーケティング活動ができる。 これが、家業を継ぎたいと思った理由の1つとなりました。
■家業を継ぐためのピースがどんどん埋まっていった
30歳、今後のキャリアを考えつづけている内に、学生時代に考えていた仕事選びの軸を思い出しました。「自分じゃなきゃできない仕事をしたい」という仕事選びの抽象的な軸。
ホームページ作成を機に、選択肢として出てきた家業の畳屋。
「あれ、自分じゃなきゃできない仕事・・家業はそうかも・・」
そう思いはじめました。祖父が15歳から畳修業し、21歳に上京して25歳で五十嵐畳店を開業。そして今年で創業57年。
誰かが継がなきゃ、家業が無くなってしまう。
兄弟は、まったく継ぐ気がない様子。
そして、激減している畳を思い出す。
このままだと畳がなくなってしまう日本。
畳がない日本。
そして、畳の産地偽装などの問題。
問題をなくし、畳離れを防ぎたい。
そして、やりたかったマーケティング活動。
畳のことを、もっと広めていきたい。
これはもう、自分が家業を継ぐしかないんじゃないか。という義務感が沸いてきました。
畳屋の平均年齢が70歳くらい。
これはもう、自分がやれるだけやって、
畳の減少を抑えていきたい。
家業の存続、畳文化の存続、マーケティング。
どんどんとピースがはまっていって、自然と家業を継ぎたいと思うようになったのです。
そのときは、まだ上場企業の会社員です。
30歳、入社8年目にして初めて、東海エリアで営業成績1位になったタイミングです。子供もいます。
実家を継ぐことで、給与も休日も減ってしまいます。友人からは、「まじか!?」と驚かれることも多々ありましたが、
「30歳からは、やりたいことをやっていきたい。子どもにも、自分がやりたいことを選んで働いていることを見せていきたい。」
そう考え、会社を辞めました。
そして、家業を継ぐことにしました。
◾️最後まで、お読みいただき、ありがとうございます。
家業を継ぐか悩む方もいらっしゃると思います。
私の場合、最後は勢いです。どうにも抗えなくなったら、会社員に戻ってガムシャラに働けばいい。30歳という年齢のタイミングも重なり、勢いが後押ししました。
今は家業の畳屋で畳職人として修行中です。
修行中の最中ですが、試行錯誤しながら、畳のことや修行の様子を配信しています。もしよければ、ご覧ください。
自作ホームページ
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