会ったこともない、あなたとの気持ちの共有

文書を書く理由って、なんだろう?


ふと、そんなことを疑問に思いました。
それはまさに、人によって。
理由は千差万別なのでしょう。


自ら学んだことをアウトプットしたい、
だとか。
情報を人に伝えたい、だとか。
自分の意見を言いたい、共感が欲しい、だとか。

わたしは?
わたしの場合は?

考えてみると、こうしてわざわざ文章を書くというのはなかなか熱量の必要な作業です。

まず、書くための時間をみつけて、
頭をつかって内容を考え、
他にもやることがあるのに、
それでも書きたくなるのですから!

いったい、なぜ?
なぜ、わざわざ忙しい毎日の中、
時間を捻出してまで書くという事に
こだわるのか?

結論です。
わたしの場合。
毎日何かしら書き続けていないと、
本当に言いたいことができたときに困るから。


書きたいことができた、イザというときに
(書く)ということから遠ざかっていて
書けなくなってしまっていたらとても困るから。


つまりわたしは、
書くという行為は、ある程度習慣化していなくては書けなくなってしまうものだと思っているのです。

この考えに自分で辿りついたとき、
軽くショックを受けました。
「あらー!
なんという消極的な理由で書き続けているの!
わたし…!」

しかし、です。
こんな弱気な理由ではあるのですが、
文書を書くという行為がもともと好きということもあり、書くという行為は
四年ほどほぼ毎日続いてます。

文章を書く楽しさ。


書くと、気持ちがスッキリします!
やりとげた感、もそうですし、
やはり感情を文字に起こすことで客観的にもなるのでしょう、気持ちの整理ができるのですよね!


ちょうど良い機会だったので、さらに考えを深掘りしてみました。
書くことに対して、
自分が一番大切にしていることは何か?


つまり、
「何」に焦点をあてているか?
それを自分自身で分析してみました。


それは、「感情」を読み手につたえること。
人の大切な部分でもあり、人間の魅力でもある感情。わたしはこれを、一番意識してかいているのです。


なぜかって?

だって、楽しいじゃないですか!
ワクワクしたり、ハラハラしたり、
その体験をしていないのに、まるで経験したかのように感じることができたら…!

ひとの持つ、感情というものを誰かに伝えることが出来るのならば、それは楽しさ(悲しい、もあるかもしれません。)の共有になるのですから!

会ったこともないあなたと、
そんなふうに気持ちをひとつに出来るだなんて
素晴らしいことだと思うのです。

そのために、それを楽しむために、
わたしは書いています。
書き続けています。

わたしの文章をよんで、
ほんの少しでも前向きになってくれたり、
元気になってくれる方がいたらそれはとても幸せなことなのです。

会ったこともないあなたとの、気持ちの共有。

わたしが文章を書く理由は、それなのです。
すこしでも、あなたの前向きなエネルギーの糧になることができたら。
それを期待して、今日もわたしは書き続けます。

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